Nissyこと西島隆弘さんの黒い乳首を前にしながら、クレープを粛々と売るお姉さん
ある日、渋谷駅が茶褐色だった。よく見るとそれはNissyの裸体だった。
特別付録DVD付 anan (アンアン)2018/08/15・22 No.2114[愛とSEX]
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2018/08/08
- メディア: 雑誌
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いつも何かしらの広告がジャックしている、渋谷ちかみちの柱群。
その日はAAAのNissyがanan「SEX特集」で見せたヌードが一面を飾っていたのだ。大樹のような柱が、ものすごく近い感覚で並んでいて、そこにはNissyのあんな姿やこんな姿が映し出されている。暴力的なセクシーゲリラ。
麗しい外国人女性に今まさにKissしようとするNissyのぽってりとしたコーヒー豆のような唇、茶褐色に焼けた肌、女性と絡みながらもなやましげにこちらを見据えてくる眼差し、あるかなきかのわき毛。なんの心構えもない状態で、いきなりセクシー写真を目の前バーンと差し出されてしまい、どんな顔でそこを通ればいいのかと戸惑ってしまった。
とっさに「あっ、すみません」と思った。
強制的に見せられているにも関わらず、なんかすんませんという気持ちになった。
ほかの人も微妙に心をかき乱されているのか、いつもの雑踏がすこしだけランダムな動きをしているように思えた。まるでコソ泥のような速さで、写真を撮影している妙齢のマダムもいた。
Nissyのヌードは地下道に燦然と輝き、道行く人々の心の中にほんの少しのうしろめたさを植え付けていた。
何よりうしろめたさを刺激しているのは、Nissyの茶褐色の身体にぽつねんと出現している、真っ黒な乳首であった。
男性の乳首はそもそも「見えていいもの」として取り扱われている。男性が上半身裸でうろうろしていても、あまり気にならない。しかしそれは乳首が存在感を放たない場合である。通常男性の乳首は「あってないようなもの」として扱われている。だからわたしたちは男性が上半身裸でいても乳首を注視することもないし、なんらうしろめたい気持ちを抱くこともない。
しかしNissyのそれは強烈な違和感を放ち、ブラックホールのようにわたしたちの視線を吸い寄せた。そしていくばくかのうしろめたさと、「み、見てねぇし!」という誰にするでもない無意味な弁解と、「もう一度見たい、いやダメだ」という謎の葛藤をもたらした。
Nissyの黒い乳首を見るまいと視線をそらした先に、クレープ屋があった。コロッとした形に丸めたクレープを売っているあの店である。その店は柱群のど真ん中、Nissyの茶褐色に取り囲まれていた。
お姉さんは虚無を見つめながら、クレープを売っていた。彼女はもうすでにNissyの裸体に関してベテランになっていた。
そのまなざしが黒い乳首に惑わされることはない。
お姉さんは朝から晩まで、粛々とクレープを売り続けていたのだ。
Nissyの茶褐色に抱かれながら。
さくらももこの親子観について
さくらももこのエッセイ 『そういうふうにできている』
さくらももこが亡くなった。まるちゃんよりエッセイが好きだった。ブログを読んでいると結構そういう人がいて、なんとなくみんな文章がさくらももこっぽいから微笑ましくなってしまう。わたしもちょっと真似しているところがあるかもしれない。
さくらももこのエッセイは、最初はひーひー笑いながら読んでいたけど、すこし嫌になってしまった時期があった。なんだか文章から漂う庶民的なみみっちさや僻みっぽさが、同族嫌悪的な感情を刺激してくるので疲れてしまうのだ。それでも今こうして読み返すとやっぱりおもしろい。とくに『たいのおかしら』や『さるのこしかけ』が好きだ。この二冊では庶民的なみみっちさも僻みっぽさも、絶妙なスパイスになっていてカラッと笑える。
笑えるエッセイ本は数あれど、本気で雷に打たれたような表現に出会った一冊がある。『そういうふうにできている』である。
親子ってなに?
親子ってなんだろうと考えると止まらなくなる。親子について考えるとき、日本はとことん儒教的である。社会的に、親は敬うものであるとされている。親のほうでも「育ててやったんだから」と言ったり、親孝行を期待したりする。そこでは親はひとりの人間というよりは、「親」という大きな概念のようになっている。
「父の日」とか「母の日」に乗り気になれないのは、みんなが「父」とか「母」というなんだか大きな存在に対して一斉に感謝して品物を贈っているという状況が、なんだか異様だと思ってしまうからだ。
わたしが母を好きで尊敬しているのは、「母」だからではなくて「ゆきこ」として生きてきたそういう人間だからだ。それはとても幸せなことなのだと思う。わたしがこの世にポンと産み落とされて、最初に育てる役割をした「ゆきこ」という人間とたまたま相性が良かったということだ。結局親子関係といっても、人間関係なのだと思う。
逆にこの世には、親と限りなく相性が悪かったことにより、自分の生い立ちを呪いながら生きる人もいる。このような人たちが苦しいのは、「親は子を無条件に愛するものだ」ともっともらしく決めつけて言う人がいるからである。親も子も、ただの人間同士である。ただ子供の方が幼いうちは身体も知能も未発達で、社会的にも成熟しようがないので親に環境を整えてもらう必要があるというだけである。そういう役割を全うする親もいれば、子供に対して愛情がわかずに、すこしも世話をしない親もいる。もしくはそういう役割を過不足なく行うだけで、子供に対してさして愛情を抱いていない親だっている。
「親」は子供にたいして無条件に惜しみなく愛情を与える大きな存在だと思われているが、実際の親はただの人間で、子供を愛したり愛さなかったりする気まぐれで不確かな存在なのである。
さくらももこの子供への考え方
こんなふうに言うと、親子というものを悲観的に考えていると思われるかもしれない。でもそうは思っていない。さくらももこの言葉に出会ったからだ。何度読んでも、腑に落ちるのだ。
『そういうふうにできている』は、さくらももこが初めて子供を妊娠、出産したときのあれやこれやをおもしろおかしく、ときに哲学的につづった名エッセイである。このときのさくらももこの文章に説得力があるのは、生まれて来た赤ちゃんを見るなり盲目的な愛情が大爆発するんじゃなく、至極冷静だからだ。
あわてながら、私は子供に対する自分の愛情というものについても冷静に観察していた。この子に対して、まだ愛情らしき感情がワッと湧き起こってこないのは単に私に余裕がないだけであろうか。
私達は本能の中にプログラムされている種の存続という任務を忠実に遂行しているのだ。子供は誰から教わらなくとも乳を吸う手段を身につけており、私もこの生命を死守しようとしている。愛情とは違う。似ているが別モノだ。
いわゆるマタニティハイとは無縁である。さくらももこは、この赤ちゃんが自分の体のなかから生まれて来た不思議を静かにみつめ、これからの自分と子の関係性について真剣に考えている。さくらももこは大きな存在である「親」になる気は全くなくて、初めから人間対人間として子供に接しようと思っていたのだ。
さくらももこは子供が出てきた自分の身体のこともとくに特別なものだとは思っていないようだった。ただ、その子が地上に降り立つための通路に過ぎなかったと、そう言った。その子は母体の分身でもなんでもなく、一個の独立した魂をもつ存在であると言った。
もしかすると彼の魂は経験豊富で私より大人だったりするかもしれない。だがこの世では新参者だ。
”家族”という教室に”お腹”という通学路を通って転入生が来たようなものだ。遠い町から転入してきた彼を、クラスメイトの夫と私は歓迎し、今後仲良くしていこうと思う。彼が知らないことが教えてあげ、いろいろな体験を共にし楽しく過ごすであろう。お互いの絆は固く結ばれ、かけがえのないものになるとも思う。
だがお互いに一個の個体なのだ。
私は”親だから”という理由でこの小さな生命に対して特権的な圧力をかけたり不用意な言葉で傷つけたりするような事は決してしたくない。
この考え方に、今でもずっと共感している。自分に子供が生まれる想像をたまにして不安になるけど、このさくらももこの言葉を思い出すととても気持ちが楽になる。母親のことが大嫌いだったあの娘も、この部分を読んでもらったら「ほんとうにその通りだね」って言っていた。人の考え方は変わりやすいものだから、さくらももこさんが最期までこんな気持ちでいたかはわからないけど、この言葉はたくさんの人の心を救うと思う。
日を追って、子供との絆は深まり、もっともっとかけがえのない存在になる事は確実に予想されるが、それぞれの個体は各人のものでしかないという”距離”はこのままであると思われる。もっともその距離は、”オナラのできる間柄”であるという非常に近い距離であろうが。
わたしがおならをすると、空気清浄機より先に母のゆきこは「ン???」と言う。わたしもまたオナラのできる間柄のもとで、クラスメイトのような親にいろんなことを教わってきた。
たまには感謝を伝えたくて、まったく「母の日」でない日にゆきこに口紅を買って帰省した。母の日だよと渡すと、ぱぱぱっと口紅を塗って「ゆきこ、こんな良い口紅はじめて~」とバレエもどきの変なダンスを踊った。この自分のことを「お母さん」ではなくて「ゆきこ」と呼ぶのがうちの母の奇妙なところであり、個性である。
そんな母に、正しく感謝して向き合えたのはさくらももこの言葉のおかげだと思っている。
ご冥福をお祈りします。
一人称がない男と付き合っている
わたしの恋人には一人称というものがない。正確には「僕」と呼ぶはずなのだけど、めったに言わないので、ないようなものだ。そもそもが無口なので、言語そのものをあまり口にしないのだけど、一人称に関しては言うのを巧みに避けるようにして暮らしている。
そのことには付き合う前から気がついていた。
食事に行くようになって二回目くらいのときに、「一人称ないでしょ?」と聞いたら「よく気がついたね」と言った。
「なぜ?」
「僕も俺もなんか違う気がして恥ずかしい。」
「不便じゃない?」
「やや不便」
「このピザは誰が頼んだのさ」
「……(小さく手を挙げる)」
たしかこんな感じの会話をした。不便さを感じながらも、「僕」や「俺」を使うのが恥ずかしいからと言って、ほとんど一度も口にせずに20年間くらい生きてきた男がいるのだ。わたしは驚いた。
人はおのずと自分にあった一人称を選び取っていく。
俺、僕、わたし、あたし(主にaiko)、ウチ(misono)、わたくし、わっち、小生(インターネット上でのみ、中高年男性が使用する)、わし、あたい、おいどん、おら、わちき(椎名林檎もしくは石川さゆり)。
一人称の選択を左右するのは、「他人からどう思われたいか」という観点だ。常識的な人だと思われたいか、男らしい人だと思われたいか、ちょっとおてんばな感じだと思われたいか。一人称を使うということは「オレは、自分のことオレって呼ぶタイプの人間だと思われたいでーす!!!!」とアピールするようなものだ。言い過ぎか。
どうやら彼は一人称を使うということは「他人からどう思われたいか」を明かすことだと考えていて、それがなんか恥ずかしいようだった。こんなに面倒くさい男がいるものか。恥の多さは感受性の強さでもあるだろうけど、このひとはちょっと恥じらいすぎている。
男の一人称はだいたい「俺」か「僕」である。彼はそのいずれにもためらいを見せている。
「俺」はなんだか強引そうな感じで、自分には明らかに似合わないと言った。
そう、彼はかなり「僕」寄りのルックスをしている。ひょろながい身体に、シマウマみたいな優しそうな顔がちょこんと置かれているような感じだ。服装は無印良品(本人いわくMUJILABO)かアーバンリサーチのこれでもかというくらい「ふつう」な服を着ている。まちがっても妙な位置にスタッズが付いていたり、Tシャツが絞り染めだったり、Vネックが深かったりしない。星野源のスタイリストにでもなればいいのにと思う。
ルックスだけでない。言葉遣い、物腰も明らかに「僕」寄りである。クソとかバカとか言うのを聞いたことがない。いつもゆっくりと丁寧に話す。ちょっと個人的に気になっているのは「むずかしい」をわざわざ「むつかしい」、「あそこ」を「あすこ」と言うところだ。まあ別に間違ってはないんだけど、江戸川乱歩の少年探偵団かよと思ってしまう。「それ気になる」と2回くらい言ったが、治す気はないようだ。
とにかくここまで「僕」寄りなんだから、「僕」にすれば良いじゃないかと思うだろう。しかし彼の恥の意識をなめてはいけない。ここまで「僕」寄りでいて、マジで一人称を「僕」にするのは逆に恥ずかしいというのだ。「なんだかあざといんじゃないか」と余計な心配をしているようだった。彼のやや弱気なルックスとファッション、ソフトな物腰が、「僕」という一人称を使うことによって、なんだか演出じみてしまうと思っているのだろう。
しかしどう考えても「俺」なタイプではないので、一緒に話し合った結果「僕」にしようとなった。そして二人で会話をするときは「僕」を使う練習の場にしましょうと約束した。
そこからわたしは
「で、誰がやったの?」
「誰の血液型がB型なの?」
「わたし今誰と話してるの?」
と足を組みながら鋭い言葉で追及する、怖い女になった。彼が自分のことを「僕」と呼ぶのを聞きたいというだけなのに、妙にノッてしまって怖い女になった。
それに彼が真っ赤になりながら
「アッ…、ぼ、僕…」
と返すたびに謎の高揚感が生まれた。
なぜかいけないことをしているかのような気分になった。この一人称プレイとも言えそうな状況にハマってしまって、なんだかんだと会ううちに付き合うことになった。
あれから月日が流れ、最近は二人ともたるんでいる。彼は「僕」と言うのを避けるように暮らしている。
かなりご無沙汰になった一人称プレイを再開しようかと思っている。
主人公の男が好きな女の前でゴリラの物真似をする小説を探している
ずっと気になっている。
高校の現代文のテストに出てきた小説なんだけど、なんともいえない暗さとやけっぱちのユーモアが両立しているような文章だった。
もう細かいことはほとんど覚えていないんだけど、大まかに書き残しておこう。
まず主人公の男と、相手の女は文通で知り合った。
実際に面会してみたところ、まことに姿のいい女だった。しかも知的で品があって、男はすぐに惚れた。そしてデートにこぎつけて二人は動物園を訪れる。男の内面は劣等感の塊で、女を自分のものにしたいと渇望しながらも、どうせいつか気持ちが醒めて幻滅されるくらいなら今ここでどうにかなってしまいたいという自暴自棄な衝動を抱えている。そしてゴリラを目の前にして、やけっぱちのゴリラの物真似を披露する。男は、あさましく剽軽にふるまう自分をどこか冷静に見つめている。どろりとした自己嫌悪が湧き上がってくる。
こう書いてみるとめちゃくちゃである。曖昧な記憶をたどるとこんな感じだった。
そもそも現代文の問題だったから、小説のほんの一部分なのだろう。なにもつながりがない状態でこの意味不明の文章をぶっこむものだから、低得点が続出していた気がする。なぜ先生は高校生に、劣等感にまみれてゴリラの物真似を披露する男の心情を回答させようとしたのだろう。変な問題ばかり出す先生だったけど、チョイスが面白いので楽しみにはしていた。問題用紙をすぐ捨ててしまう癖が悔やまれる。
何度もグーグルで検索した。
「ゴリラ 物真似 小説」
「ゴリラ 物真似 劣等感 」
「文通 ゴリラ 小説」
たどり着くのは関係のないものばかり。
もしサイトの持ち主がグーグル解析などをして、「ゴリラ 物真似 劣等感」でたどり着いてる者がいると知ったら微妙な気持ちになるだろう。
とにかくどんなに調べても出てこない。もうあの小説には出会えないのだろうか。その先生に連絡を取れば一発なんだろうけど、それはなぜか死ぬほど嫌だ。
このブログを読んでくださっている方のブログを覗きに行くと、なぜか本に詳しそうな人が多い。もし「主人公の男が好きな女の前でゴリラの物真似をする小説」をご存知でしたら、教えてください。お願いします。
田舎のお祖母ちゃんがearth music&ecologyで服を買い始めた
後期高齢者 meets earth music&ecology
タイトル通りである。 earth music&ecologyの年齢層が大きく変わり始めている。
母から電話がかかってきて「お祖母ちゃんがね…」と切り出されたとき、真っ先に「ああ、何か病気でも見つかっただろうか」と思った。
「どうかしたの?」と深刻なトーンで聞き返すと
「最近、earthなんちゃらで服買ってんのよ…」
「あのearth?」
「そう、あの。宮崎あおいの。」
Oh…と思った。
earth music&ecology(通称アース)にはわたしもお世話になったことがある。わたしが中学生の頃は、いかにも女の子という感じの服装がリーズナブルに手に入る店として人気を博していた。宮崎あおいが「ヒマラヤほどの!」と歌うCMが印象的だった。今はあまり趣味が合わなくなって着ないけれど、友達の服のタグに「earth music&ecology」と書いていてもナチュラルに受け入れる。
しかし、それが祖母となるとさすがにスル―できない。
祖母ちゃんは最初こそアースのことを、「イオンにある若者向けの安い店」と認識し自分には縁がないものだと思っていたそうだ。しかし一度退屈しのぎに足を踏み入れてからは、アースの虜になった。今ではイオンに行けば神速でアースの店舗に向かうらしい。膝が悪いのによくもまあ、という速さで向かうらしい。この間お祖母ちゃんに会ったとき、早速アースで買った服を自慢された。
なぜそんなにもアースがお祖母ちゃんにヒットしたかというと、主な理由は三つである。
安い
地元のイオンにあるアースは、慢性的にセール状態である。かなり高頻度で80パーセントオフなどをやっていて、価格崩壊している。お祖母ちゃんが初めてアースに足を踏み入れたときは、まさにスーパーセール中で店内商品最大50パーセントオフ、さらにレジにて20パーセントオフというイカれたお得具合だった。お祖母ちゃんはそのときの店内の祝祭ムードに踊らされ、一枚買ってみたところ案外着れるもんだからハマってしまったのだろう。
サイズ展開が豊富
ここまで読んできて、わたしのお祖母ちゃんのことを、痩せてしわしわの弱々しい高齢者だと想像した人もいるかもしれない。しかしリアルお祖母ちゃんは、なんか太っててでかい。小さい頃「お祖母ちゃん金正日に似てる」って言ったら殴たれたっけ。そりゃ殴つわ。しかも好きな食べ物は、血のしたたるステーキである。帰省するたびに祖母が小さくなる、みたいな感傷がわたしには無い。
そんなお祖母ちゃんでも着られる服が揃っているのがアース。Lサイズがまずまず本気でLサイズなうえに「大きいサイズ用」も作っているみたいで、これにはビッグなお祖母ちゃんもご満悦。「おらでも入るっすちゃ」とのこと。こちらもうれしい。入る服あってよかったね。
他の年寄りとかぶらない
そう、まだアースに手を出している年寄りというのはとても少ない。他のおばあさんたちは、商店街にあるような「おしゃれ館ルモンド」みたいな名前のシニア向けブティックで買っているのだろうか。
そこをうちのお祖母ちゃんはアースである。女学生が小遣い握りしめてセール品を物色している店内を闊歩し、年金で大人買いである。当然デザインは若い。よそのばあさんに「あらそれどこの?」と聞かれること請け合いである。
「祖母ちゃんすげえな」という驚きはいうまでもなく、「アースは大丈夫なのか?」という余計な心配がわき起こってきた。というのも、お祖母ちゃんはすでに周囲の年寄りにアースを流行らせつつあるのだ。
お祖母ちゃんは近所の農作物が並ぶ産直センターで、なかば暇つぶし感覚で働いている。そこには似たようなおばあさんが集い、サロンと化している。お祖母ちゃんはアースという若者向けブランドの威光を借りて、そこのファッションリーダーになってしまった。「なんだかハイカラなもの着てる、どこのだ」と言われて教えたところ、「なるほど、安いし、楽な服多いし」ということで、アースが産直センターでにわかにブームを起こしているらしい。
これはいかがなものか。このままではわたしたちの青春と共にあったアースが、「おしゃれ館ルモンド」になってしまう。
そもそもアースは昔はかなりおしゃれ感度の高いストリートブランドだったこともあるらしい。
こんなクールなロゴで、モデルの今宿麻美なんかが着てて、雑誌でいえばminiだったそう。これが森ガール路線になったときは、ストリートガールズが悲鳴を上げたらしい。
これが今、めぐりめぐって「おしゃれ館ルモンド」になろうとしているのである。
おいおい大丈夫かアースと思って、ホームページを覗きに行ってみた。
「若さなんて、転がる石よ。」
アースはすでに、覚悟が決まってたみたいです。
お盆のバーベキュー大会に気合いを入れるガン患者
うちの親戚は、お盆に盛大なバーベキュー大会を開催する。この不謹慎スレスレのイベントの中心になっているのが、マサおじさん(70)である。
マサおじさん(70)と書くと、田舎に帰省するたびになんだかちっちゃくなっていく、人の良いじいさんという感じがするだろう。
しかし実際のマサおじさんは斜め上を行く。
体重が120キロある。上背もあるが、相当なボリュームで、アメリカのウォルマートにいる人みたいな太り方をしている。そして、よその子供に「あ、太った人がいる~」と指さされるとマジで睨むというファンキーな高齢者である。
しかし、マサおじさんは自分の顔見知りにはたいそう面倒見がよく、慕われている。中学生の頃の恩師を進んで介護するほどである。おもてなしの心が尋常ではないのだ。リアルクッキングパパでもあり、揚げ物も煮物もなんでも作る。以前にマサおじさん宅に泊まったとき、朝からとんでもない量のアメリカンなごちそうを用意され、交換留学にでも来た気分になった。
盆のバーベキューはマサおじさんが、一年で最も気合いを入れるおもてなしイベントである。親戚が集まって、先祖のために線香をあげ、そのあとは肉を囲んで歓談する。おじさんはいつもそのにぎわいの中心で、巨体を揺らしながらおもてなしのために奔走している。そしてバカでかいカメラでシャッターを切りまくり、それをすべて現像して後日に配って回るというマメさもある。このおじさんのエネルギーはどこで醸成されているのか。本当に凄い人だなあと思う。
さっきそのバーベキュー大会から帰ってきた。例年通り気合いが入っていた。
わたしは帰省前から、母伝いに「お前に最高の厚切り牛タンを食わせる」という熱い宣告を繰り返しいただき、本日めでたくその厚切り牛タンを食べてきた。マサおじさんがネットで大量に注文したその厚切り牛タンは、明らかに良い部位だった。舌の根の方の脂ののったところだった。「これ良いとこでしょ、利久より旨いわ!!」と興奮気味に言うと、マサおじさんは会心の笑みをこぼした。この人はこういうことが生きがいなのだと、マサおじさんの娘たちが言った。
クーラーボックスには大量の冷えたビール、ウーロン茶、ジュースが用意されていた。カルビやら、焼き鳥やら、エビやホタテ、とうもろこし、川魚まで半端でない量の具材がこしらえられていた。それをあーだこーだ言いながらみんなで焼き、ビールをぐびぐび飲み、宴は盛り上がった。マサおじさんはその中心で満足そうに笑っていたが、体の大きさのわりにあまり食べなかった。
おじさんは今ガンなのである。これは数年前からで、全身にぽつぽつとガンが出来るのを、その都度治している。マサおじさんの体力は驚異的で、幾度の厳しい治療をクリアしてきたから、今もこうして元気でいる。しかし最近になって、リンパが腫れてきたとかで、体調が悪い日が多いようだ。今日も少し顔色が悪かった。それでも今までと変わりなく周りの世話を焼き、大量の料理を作り、おもてなしをしている。そしてなぜか相変わらず太っている。それがマサおじさんの生き方なようだ。
「もうすぐ死ぬ!!!(絶叫)」とか「まだ生きておりますがどうもどうも」という言葉が、ジョークになってしまうマサおじさん。みんな本当はそれがジョークでもなんでもない事を知っている。おじさんは多分もう本当に長くない。でもうちの親戚はみんなでそれを笑う。それでいいのだと思う。
今日マサおじさんが気合いを入れてごちそうしてくれた、厚切り牛タンの味を忘れないようにしようと思う。
忌野清志郎がセブンイレブンの人みたいになってて悲しいので愛をこめておすすめ曲を紹介する【RCサクセション編】
セブンイレブンの人、だと?
のっけからタイトルうっとうしいですが
わたしは複雑な気持ちなわけです。
忌野清志郎の話をしようとすると、「ああ、ずっと夢~をみて~~の人ね?」と言われることが。これはわたしが大学生だからかもしれませんが、周囲からは忌野清志郎がセブンイレブンの曲の人として認知されつつあるようです。これは看過できない。
わたしと忌野清志郎
なかなか本題に入らずすみません。
わたしは清志郎フリークの母親に育てられ、おそらく胎教も清志郎、子守歌も清志郎。家では四六時中清志郎が流れてる。清志郎生まれ清志郎育ちなんです。一時期は「好きな歌手は?」と母親に聞かれたら「清志郎。」と答えなきゃいけなかったこともあり、もはや狂気的なまでに清志郎英才教育を施されてきました。そんな感じだったんでもちろん清志郎の生涯を通した、音楽活動のすべてを知っているのです。関連本だってほとんど読んでる。
昔は親の聴いてる音楽なんてかっこ悪いと思ってたけど、今はしみじみいいなあと思う。だからこそ、清志郎をセブンイレブンの人で終わらせたくない。今からわたしが個人的に大好きな曲を紹介していくので、どうぞ見ていってください。
アルバムごとにおすすめ曲をピックアップしていきます。なお、最高な曲が在りすぎるので【RCサクセション編】と【忌野清志郎ソロ編】にわけようと思います。後者については後日アップします。
おすすめ曲【RCサクセション編】
そもそもRCサクセションとは
RCサクセション(アールシーサクセション、RC SUCCESSION)は、日本のロックバンド。
忌野清志郎をリーダーとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど「日本語ロック」の成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセション に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。
彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。
一番の代表曲はこちら、『雨上がりの夜空に』
※タップすると再生されます
それでは本題に入りましょう。もう『雨上がりの夜空に』は紹介しません。アルバムごとに行きます。超長くなりますよ。
『初期のRCサクセション』 1972年
清志郎がまだエレキに目覚める前。高校生の頃に、テレビ番組「ヤング720」(TBS系)のオーディションに合格し、その後デビュー。フォークバンドとして出したアルバムがこちら。チャボともちょうどこの時期に出会っていたようです。この頃からギラギラした曲をいっぱい出していました。
2時間35分
※タップすると再生されます
すばらしい君が ぼくを好きだって
こんな気持ちは初めてなのさ
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l0050f3.html
大好きな彼女と電話してたら2時間35分たっちゃってました、という歌。いいねいいね良かったね。
ぼくの好きな先生
たばこを吸いながら あの部屋にいつも一人
ぼくと同じなんだ 職員室がきらいなのさ
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l005b7f.html
高校をサボりがちだった清志郎を唯一認めてくれた美術部の恩師、小林先生にささげた歌。こんな先生に出会いたかった。
シュー
一人じゃ何にも言えないけれど
今はみんなといっしょだもんね
烏合の衆 烏合の衆
烏合の衆 衆 衆
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l005102.html
周囲に流されて自分を持たない「烏合の衆」をディスる歌。このころから反骨精神がすごいですね。
金もうけのために生れたんじゃないぜ
金もうけに疲れて 死んでいくなんて
悲しい事さ
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l019177.html
この曲の前の曲のタイトルは「この世は金さ」です。以上。
そしてこのアルバムのあと、清志郎たちは仕事を干されて暗黒の時代を送ります。
『シングルマン』 1976年 再発売1980年
屈指の名盤『シングル・マン』
事務所のごたごたのせいで一度はお蔵入りするも、再販運動が起こったほどの名曲ぞろい。ロック色はまだあまりなく、ナイーブな曲が多い。しかしファンには根強い人気があるアルバム。わたしも擦り切れるほど聴いた。他人に対する不信感だとか、社会と断絶されたほの暗い暮らしのなかに煌くあの娘との時間だとかが濃密に詰まっている。爆発前の、エネルギーを鬱々とため込んでいた時の清志郎がわかる一枚。
ファンからの贈り物
贈り物をもらったら ぼくがあの娘に贈るのさ
つまらないものは ゴミ箱に捨てるぜ
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l023339.html
ファンに貢物をおねだりし、さらにそれを彼女にあげると宣言。鬼畜な一曲。裏声とだみ声を使い分けた、二度おいしい曲でもある。なにかのライブではYO-KINGが歌ってた。
うわの空
君は空を飛んで、
陽気な場所をみつけて そこで結婚すればいい
誰かいいひとみつけて そこで結婚すればいい
君は空を飛ぶのが大好きなんだ
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l023336.html
地味だけど、熱狂的ファンの間では人気な曲。今でいったら。ちょっと違うかもしれないけど相対性理論みたいなシュールな歌詞。乾いたさみし気なフォークギターと、つぶやくような歌い方。音数がとても少ないのに、情感たっぷり。
甲州街道はもう秋なのさ
ぼく まっぴらだ
もうまっぴらだ
これから来ないでくれないか
ぼくもうまっぴらだよ
うそばっかり
うそばっかり
うそばっかり
うそばっかり
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l0050fe.html
これ以上に秋のはじめのさみしさに馴染む曲を知らない。清志郎はなぜか若いころ山梨によく行っていたらしく、そうして車を走らせているときにうかんだ歌なのかなあと妄想する。「うそばっかり、うそ、うそ、うそ」と哀しげに連呼する後半部分、うかつに聴いてはいけないほど重苦しい。
スローバラード
昨日はクルマの中で寝た
あの娘と手をつないで
市営グランドの駐車場
二人で毛布にくるまって
カーラジオからスローバラード
夜露が窓をつつんで
悪い予感のかけらもないさ
あの娘のねごとを聞いたよ
ほんとさ 確かに聞いたんだ
作詞:忌野清志郎 作曲:みかん http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l004b3c.html
わたしはずっとスローバラードが描く恋愛の風景に憬れ続けている。社会と断絶されているような狭い車のなかで、僕とあの娘は同じ夢を見る。夜露に包まれながら。
歌謡曲は時代が変われば古くなるけど、こういう小さなラブソングが描く風景は色あせない。清志郎はこの曲を実体験に基づいて書いたらしいけど、実際はグラウンドの警備員が見回りに来たりなんかしたらしい。
『ラプソディー』 1980年
RCサクセションがロックバンド編成になって間もないころの久保講堂でのライブを収めたアルバム。チャボが加入してバンドとしての個性が強まり、清志郎のカリスマ性も確率されつつあった。「何かやってくれそうなバンドが現れた」という観客の期待感と、それに応える清志郎の勢い。
うちの母が昔のライブ映像を見せながら、米粒みたいな自分を指さして「これ!!これわたし!!!!」と興奮気味に伝えてきたことが懐かしい。ファンにとっては、あのときの熱狂のなかに自分が居たということは特別な意味を持ち続けるのだろう。このアルバムには、あのときの久保講堂にしかなかった熱狂がそのまま閉じ込められている。
ラプソディー
スーツケースひとつで ぼくの部屋に
ころがりこんで来てもいいんだぜ Baby
ギターケースひとつのぼくのとこで
明日から始めるのさ
たった二人の勇気があれば
ダイジョブ ダイジョブ
きっとうまくやれるさ
バンドマン 歌ってよ
バンドマン今夜もまた
ふたりのためのラプソディー
作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l019681.html
レゲエ調のラブソング。のちに清志郎の奥さんとなる石井さんに向けた曲と言われている。売れなくて腐っていた清志郎との交際を、石井さんのご両親は反対していたらしい。そんななかで、ぼくの部屋にころがりこんでおいでって、もう、若さ…。
「愛してるよBaby、お前を…ただそれだけさ」
という歌詞に号泣するファンは多かったそうな。何も先は見えないけど愛しているからとりあえずぼくのところおいでって、もう芥川龍之介ですね。
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やせっぽっちな清志郎が一音一音はっきり発音しながら、力強く伝える愛のメッセージ。わたしもこの久保講堂の熱気のなかで聴いてみたかったなあと思います。
『PLEASE』 1980年
個人的に、すごく好きな曲が多いアルバム。ロックバンドとして成熟し始めて、遊びのある曲をたくさん出せるようになったころ。レコーディング技術が未発達だったことから、音がとても軽くなってしまい清志郎自身は不満だったよう。
しかし「このレコードには、人工甘味料、合成着色料、防腐剤などはいっさい使用されておらず、すべてバンドマンだけで演奏されています。安心して御利用下さい」と注記されているように、スタジオミュージシャンを使わずに、バンドだけの音で勝負しようとした意欲作でもある。
ダーリン・ミシン
Oh お前の涙 苦しんだ事が
卒業してしまった 学校のような気がする夜
ダーリン ミシンを踏んでいる今夜は徹夜で 部屋中が揺れている
ぼくのお正月の
赤いコールテンのズボンが出来上がる
キュートで大好きな曲。彼女にコールテンのズボンをミシンで縫ってもらうという甘ったれた歌詞。ミシンがガタガタと動くような躍動感が、曲全体に漂っている。なんとなくゴキゲン清志郎って感じ。
「苦しんだ事が 卒業してしまった 学校のような気がする夜」って、どうしたらこんな言葉が思いつくのだろう。清志郎は詩人だ。
トランジスタ・ラジオ
ベイ・エリアからリバプールから
このアンテナがキャッチしたナンバー
彼女 教科書ひろげてるとき
ホットなメッセージ 空にとけてった
授業中あくびしてたら
口がでっかく なっちまった
居眠りばかりしてたら もう
目が小さくなっちまった
ああ こんな気持
うまく言えたことがない ない作詞:忌野清志郎 作曲:G1 238 471 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l0057fb.html
ファン以外にも有名な曲。日野高校の屋上でラジオ聴きながらサボっていた清志郎の実体験に基づく歌詞。そして実際、口がでっかくて目が小さいもんだから、つい笑ってしまう。
Sweet Soul Music
踊りたがってるのさ
おそろいで作った この靴が今も作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l004797.html
清志郎はパフォーマンスはローリングストーンズに似ていると思われがちだけど、実際に強く影響を受けているのオーティス・レディングというソウル歌手の方なんですね。よく言う「愛し合ってるかい?」もオーティスの影響。晩年はとくにソウル寄りの曲を多く出していましたが、RC時代でソウルっぽい曲はあまりありません。そういう意味でこの曲は貴重。
なんだかメンフィスな曲。
いい事ばかりはありゃしない
いい事ばかりはありゃしない
きのうは白バイにつかまった
月光仮面が来ないのと あの娘が電話かけてきた
金が欲しくて働いて 眠るだけ
最終電車で この町についた 背中まるめて 帰り道
何も変わっちゃいないことに 気が付いて
坂の途中で 立ち止まる
金が欲しくて働いて 眠るだけ
作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l011215.html
大大大好きな曲。ほんとにいい事ばかりはありゃしないものですね。
この歌詞の「月光仮面」は月経のことで、要は彼女が「妊娠したかもなんだけど!!!責任とって!!!!」と言ってきたということなんでしょう。そんなことつゆ知らず、小学生の頃に元気いっぱい歌ってました。
この曲、「新宿駅のベンチでうとうと、吉祥寺あたりでゲロはいて、すっかり酔いも醒めちまった」って言ってるんですけど、わりと行動範囲広いなおいって思いました。人間病んでるときって、無駄に歩いちゃったりするよなあと共感もしてしまいましたが。
とにかくこの曲はいつ聴いてもぐっときます。何もうまくいかない日はスーパー銭湯でも行って、これ聴きながらふて寝すればよし。
『BLUE』 1981年
このアルバムを出したあたりって、バンドとして絶好調の頃だと思うんですが、とにかく暗いです。売れたからこそ、売れなかった頃のくすぶった思いがよみがえったのでしょうか。なんだかナイーブな曲が多いですが、ファンからは絶大な人気を誇るアルバム。
多摩蘭坂を登り切る 手前の坂の
途中の家を借りて 住んでるだけどどうも苦手さ こんな夜は
お月さまのぞいてる 君の口に似てる
キスしておくれよ 窓から作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l01121c.html
清志郎が住んでいた多摩蘭坂は、今はファンの聖地になっています。わたしも昔母親に連れていかれ、その帰りに八王子に墓参りまで行きました。
ぼくの理解者は 行ってしまった
もうずいぶんまえの 忘れそうな事さ
あとは だれもわかってはくれない
ずいぶん ずいぶん ずいぶん長い間
ひとりにされています作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l023633.html
清志郎にはひとつ暗い過去があります。それは日隈くんという友達の死です。清志郎の中高での同級生だった彼は自転車通学を一緒にするような仲で、RCの準メンバー的な存在になったこともありました。しかし清志郎に強い憧れをもちながら、清志郎にはなれないというジレンマを抱えていました。それだけが理由ではないと思いますが、日隈くんは鬱を患い、電車に飛び込んで自殺してしまいました。
このまぼろしは日隈くんのことを歌った曲だと言われています。
よそ者
港の見える店 遠くに浮かぶあんな船に乗れたら
すぐにおまえをさらってっちまう作詞:忌野清志郎 作曲:仲井戸麗一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l005109.html
なんかちょっと演歌っぽいといわれている曲。
たしかにメロディーが演歌っぽいと思わなくもないけど、歌詞に清志郎ワールドは全開。
俺達よそ者 どこに行ったって
だからさ そんなに親切にしてくれなくてもいいのに
いつの日どこかに落ち着くことができる
そんな夢を見ながら今夜ここで踊るだけでいいのに作詞:忌野清志郎 作曲:仲井戸麗一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l005109.html
よるべない心をまっすぐに書いた清志郎流のブルース。
『EPLP』 1981年
ひねくれた曲が多い。
わかってもらえるさ
こんな歌 歌いたいと思っていたのさ
すてきなメロディー あの娘に聞いて欲しくて
ただそれだけで 歌うぼくさこの歌の良さが いつかきっと君にも
わかってもらえるさ いつかそんな日になる
ぼくら何も まちがってない もうすぐなんだ作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l011219.html
すべての「売れてない」人たちに聴いてほしい曲。奮い立たせられること間違いなし。
君が僕を知ってる
今までして来た悪い事だけで
僕が明日有名になっても
どうって事ないぜ まるで気にしない
君が僕を知ってるコーヒーを僕に入れておくれよ
二人のこの部屋の中で
僕らはここに居る 灯りを暗くして
君が僕を知ってる作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l000e9e.html
チャボが清志郎が一人で暮らす部屋に遊びに行ってわちゃわちゃしているときにできた。清志郎は小さな汚い部屋に住んでいたのに、コーヒーだけは一丁前にサイフォンでじっくり淹れていたんだそう。これはそのときの思い出を大切に閉じ込めた友情の曲。
『BEAT POPS』 1982年
母は最初に聴いたのがシングルマンで、次はこのBEAT POPSだったそう。アルバム名どおり、ポップな曲多め。
君を呼んだのに
描き上げたばかりの
自画像をぼくに
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが見せる
絵の具の匂いに ぼくは
ただ泣いていたんだ
ヤク中が見る悪夢みたいな曲。バイクのライトの点滅を思わせるギターのとぎれとぎれの音が印象的。ここを聴いただけで「君を呼んだのに」が来るぞッと思う。
清志郎はゴッホに陶酔していて、よく似た絵画を自分でも書いていた。
「デイジーと菊とダリア」
この曲の解釈についてはいろいろあると思うけど、精神的な錯乱をそのまま詩にしているような印象。もしくはヤク中ぶってみた曲。
『OK』 1983年
ハワイで収録したアルバム。現地の録音環境が良かったおかげで、納得のいくものができたと清志郎も満足げだった。ビートルズを意識した「Drive My Car」や、女のラジオパーソナリティーを放送中に号泣させた切ないラブソング「Oh Baby」など、RCを普段聴かない人が親しみやすい曲が多いアルバム。全体的に音は軽めだけど、なんとも言えない心地よい抜け感がある。
お墓
ぼくはあの街に二度と行かないはずさ
ぼくの心が死んだところさ
そしてお墓が建っているのさ作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l01c51e.html
清志郎の高3のときの彼女だった、豆腐屋の娘とのお別れを書いた曲。結構あっさり振られてしまったようで、それを割と根に持っていた様子。レゲエ調で、かわいらしい声で歌っている。同じ彼女については「三番目に大事なもの」という曲も書いている。
うんざり
おまえの愛が必要さ
三途の河を渡るその前の晩まで
おまえの体を抱きたいぜ
よごれたシーツのその上で ざり
うんざりBabyうんざりBaby
うんざりBabyうんざり ざり
うんざりベイベーうんざりベイベーうんざりベイベー
わたし子供出来たらこれ一緒に歌いたい。
『い・け・な・い ルージュマジック』 1982年
- アーティスト: 忌野清志郎&坂本龍一,坂本龍一,忌野清志郎,カラオケ
- 出版社/メーカー: ポリドール
- 発売日: 1992/07/01
- メディア: CD
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い・け・な・いルージュマジック
Oh Baby いけないよ
Baby Oh Baby どこに行くの, No No
他人の目を気にして生きるなんて
くだらない事さ ぼくは道端で泣いてる子供
いわずもがなの有名曲。PVおもしろいので見てください。八つ墓村かよってレベルで体に電飾つけた坂本教授と清志郎がバタバタ走っていく場面がツボ。このPVはいろいろと意味わかんないけど、あまり意味を考えないほうがいいと思う。考えるな、感じろ。
『FEEL SO BAD』 1984年
自由
俺は法律を破るぜ
義理も恩もへとも思わねえ
責任のがれをするぜ
俺を縛ることなどできねえ作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l003f49.html
清志郎は「ちゃんと税金払ってるぜ」(「ブン・ブン・ブン」より)と言ったり、法律破るって言ったり、つかみどころがないですねえ。「汚いこの世界で一番綺麗なもの、それは俺の自由!自由!自由!」わたしの母のような気の弱い少女も少年も、この歌詞に勇気づけられたんでしょうか。ぎらぎらとした不遜な清志郎です。
私立探偵
たぶんオセロかなにかしてあそんでたよ
おいらの愛て?近所のダチさ
聞いてもらえばハッキリするはずさかわいい私立探偵 YEAH YEAH
ぼくを取り調べ中さ
きみを泣かせる事は二度としないよ
かわいい私立探偵YEAH YEAH作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l01917b.html
愛しい彼女に浮気を疑われたシチュエーションの曲でしょう。しかし、そんな場面で「オセロかなんかしてあそんでたよ」ってトボけすぎではないでしょうか。こんなおまぬけなこと言われたら思わず許してしまいそう。
不思議
おまえは英語教師で
何処かの国のSPY
俺は資本主義の豚で無い物を売り歩く
ああこの街で会えるなんて不思議作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l005a96.html
かなり毛色の違う曲。怪しく色っぽいメロディーに、意味不明な歌詞。たしかこの曲はPVが相当おもしろかった。砂に埋まったキューピーとかラクダとかを次々引っ張り出していくんだけど、なぜか清志郎も掘り起こされる。
↑ありました。埋め込みできなかったので、お手数ですがニコニコでご視聴ください。
『HEART ACE』 1985年
一番好きなアルバムかもしれない。最後が『すべてはALLRIGHT』で終わるのもたまらない。
僕とあの娘
あの娘はズベ公で
ぼくはみなしごさ
とっても似合いの ふたりじゃないか白い目で見られるのなんか
もう慣れちまったよ
だから本気で だから本気で
あたためあっているんだぜ汚れた心しか
あげられないと
あの娘は泣いていた きれいじゃないか
スケ番だった元彼女のことを歌った曲。清志郎は実は戦争孤児でもあって、母親の妹の家族に育てられた。だからみなしご。
この詞はオレが二番目につき合った女の娘のことをうたってる。その娘はフォーリーブスのファンだったな。で、池袋に住んでるスケ番だったの。韓国人とのハーフで、デートの時に眼帯なんかして来るんだ。しょっちゅうケンカなんかしてたらしい。その娘がオレにね、オーティス・レディングの『ラブ・マン』っていうLPをくれたよ。その娘はやっぱり凄く新鮮だったね。オレのまわりにいた、なまぬるい環境のヤツらと違ってたからね。オレと同じもらいっ子だったけど、ずっとオレより不幸な生い立ちだった。スルドイ娘だったよ。
結局、引越して遠いところに行っちゃったけどさ、十年くらいして突然、電話があった。でもその時も不遇な環境で、精神的にも肉体的にもボロボロになってたようだ。ちょっとおかしくなってた。
そしてある日、クスリなんかで突然逝っちゃった。
今でもその娘がくれたオーティスのレコードはよく聴いてる。
『GOTTA! 忌野清志郎』より
海辺のワインディングロード
BABY もうきみの目を
今までのようには見れない
BABY もう 二度と
ぼくの目には見えない作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l000e9d.html
清志郎が精神的にかなり安定していて、いいコンディションの時にできた曲。珍しくキラキラした恋愛を歌っていて、ちょっと聴いていて照れる。
すべてはALLRIGHT(YA BABY)
頭ごなしに 笑われても
うぬぼれて 踊ってりゃEのさ
とつぜんの贈り物を
受けとるときがきっとくるさなぜ?母のない子のような
なぜ?こんな胸さわぎ
叫んでも
閉じこもっても
Oh 涙をふいて BABY
もっと強く抱いて作詞:忌野清志郎 作曲:春日博文 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l004ad0.html
語彙力を失うくらいいい曲。
これほど奮い立たせられる曲があるかなあ。「なぜ?母のない子のような なぜ?こんな胸さわぎ」って歌詞が、ときどきどうしようもなく襲われる不安をとてもよく言い表していてすごい。それでもアルバム最後にふさわしい、元気の出る曲。トータス松本が歌ってたけど、結構似合ってる。
『MARVY』 1986年
- アーティスト: RCサクセション,仲井戸麗市,忌野清志郎,Bill Nelson,春日博文
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2005/11/23
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MIDNIGHT BLUE
物影にかくれて誰かが待ってる
ヤバイ物をしこたま持ってる
ぶっとばせ MIDNIGHT 心配はいらない
ゴキゲンなもの おまえにあげる作詞:K.IMAWANO 作曲:K.IMAWANO https://www.uta-net.com/song/115893/
金子ノブアキとkenkenのお母さん、金子マリさんをみなさんご存知ですか?彼女はRCと家族ぐるみの付き合いをしていて、ライブでも清志郎と一緒にど派手な衣装でこの曲を歌っていました。シモキタのジャニス・ジョプリンと呼ばれるほど、ソウルフルでかっこいい女性です。
COOL FEELING(クールな気分)
黙っていても二人見つめあうだけで
なんだか クールな気分
作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l019167.html
どうした?というくらい低体温な曲。でも謎の中毒性あり。
NAUGTHY BOY
いずれ誰もが年老いて
二度ともとには戻れやしない
気ママな奴だった HEY!NAUGTHY BOY
普段の君は今じゃただのオヤジさ
作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l004b60.html
みんな仲良しのロック小僧だったのに、いきなりおとなしくなってどうしたよ。そんな感じの歌詞。秋の初めの冷えた空気を思わせるような、さみしげなメロディー。
わたしも地元の同い年の友達が、結婚したり妊娠したりフィーバーしてて、「おいおいどうしたよ」って感じでしたが、ちょっと違いますかね。
『COVERS』 1988年
ラヴ・ミー・テンダー
放射能はいらねぇ 牛乳を飲みてぇ
何やってんだー 税金かえせ
目を覚ましな
巧みな言葉で 一般庶民を
だまそうとしても
ほんの少しバレてる その黒い腹作詞:K.Imawano 作曲:E.Presley&V.Matson https://petitlyrics.com/lyrics/256149
3.11以降、清志郎が「原発の危険性を見抜いていた予言者だ」みたいなことが言われるようになりました。「たしかにね」と思う反面、複雑な気持ちでもあります。そういうイメージが独り歩きして、昔のロック小僧だったときの曲が聴かれなくなるのではないかと思ってしまうからです。清志郎は社会的なメッセージのある曲を発表する代償に、何かしらを失ってきたような気がします。
清志郎は何かの使命感にかられるように、社会的なメッセージが強い楽曲を発表するようになりました。戦争で亡くなったお母さんのことを知ったのが、動機として大きかったと言われています。でもそれは清志郎個人の思いであり、この頃からバンドメンバーとはすれ違うようになってしまいました。
清志郎が亡くなったあとの、チャボのインタビューを見ていると、当時のすれ違いのさみしさが伝わってきて切なくなります。
とはいえ、清志郎が使命感をもって発表した曲なので、聴くべきでしょう。
サン・トワ・マミー
サン・トワ・マ・ミー 夢のような
あの頃を想い出せば
サン・トワ・マ・ミー 悲しくて
目の前が暗くなる
サン・トワ・マ・ミー作詞:ADAMO SALVATORE 作曲:ADAMO SALVATORE http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l01121b.html
越路吹雪さんで有名な「サン・トワ・マ・ミー」
清志郎が歌うとこうなるんですね。
イマジン
僕らは薄着で笑っちゃう ああ 笑っちゃう
僕らは薄着で笑っちゃう ああ 笑っちゃう訳詞:忌野清志郎 作曲:John Lennon https://petitlyrics.com/lyrics/2737166
ことばが要らないくらい素晴らしいので、見てください。
『Baby a Go Go』 1990年
- アーティスト: RCサクセション
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2005/11/23
- メディア: CD
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一度すれ違ってしまったけど、またふつうのロックバンドをやりたいという気持ちで作ったアルバム。しかしもうメンバー同士の心は離れていて、修復不可能なところまで来ていました。どれも名曲だけど、響きが哀しい。
I LIKE YOU
さぁ笑ってごらん HA HA HA HA HA
ほらうぬぼれてごらん HA HA HA HA HA
作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l0012cc.html
外国の子供歌みたいな雰囲気の曲。股間をふろおけか何かで隠した清志郎が、おどけているPVだったと思うけど、それすらさみしげだった。しかし、清志郎の死後に発表された未発表音源を収録したアルバム「Baby #1」では、とてもいいアレンジがされています。息子の竜平(たっぺい)さんの声もひっそりと入っていて、素敵です。
あふれる熱い涙
Baby 空が引き裂かれても
俺はこわくないさ
Baby 俺を悩ませるのは
お前だけさ
作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l000e9c.html
「あふれる あつい なみだ~」
口をおっきく開けて、明瞭な発音をするのが清志郎の美点。こんな切ない曲でも、それは変わりません。昔アコースティックギター買ってもらって、ひたすらこれを練習してた思い出。
空がまた暗くなる
ああ 子供の頃のように
さぁ 勇気をだすのさ
きっと 道に迷わずに
君の家にたどりつけるさおとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 知ってることが
誰にも言えないことばかりじゃ
空がまた暗くなる作詞:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎 http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l019178.html
子供のころはこの歌詞がいまいちぐっと来なかった。今でも子供だけど、なんとなくわかってきた気がする。
おまけ
なんだか、解散時のさみしげなアルバムを最後にもってきてしまいました。
たしかにバンドメンバーとはすれ違ってしまったけど、そのあと親友のチャボとは仲直りして、素敵な演奏をしています。
みんな大好き「君が僕を知ってる」
この動画は、何度見ても泣けてくる。照れたような二人の周りを囲んでいる草が、そよぎながら歌っている感じがする。
大切な本
もう絶版になっている『GOTTA!忌野清志郎』
母から譲り受けました。母曰く
「清志郎のことを反吐が出るくらい嫌いだった友人が、夢中で二時間で読破した」
とのこと。母さん帯書けよと思いました。
追悼本を量産するくらいなら、こういう本を再版してほしいですね。
Spotify無料版がもたらした無駄な出会い
Spotifyの無料版を使うメリットは正直言ってまったく無い。何曲かおきに広告が入るし、何より強制的にシャッフル再生である。
このシャッフル再生がめちゃくちゃで、水曜日のカンパネラを聴いてたら加山雄三が出てきたり、松田聖子が聴きたいのにJUJUが流れ出したりする。これがイラっとくるのだけど、おもしろくもあってたまにSpotifyの無料版で音楽を聴きたくなる。
こないだ、なぜか今さらブルーノ・マーズが聴きたくなってSpotifyを開いた。Spotifyの無料版でブルーノ・マーズを聴こうとする女、そこはかとなくダサい。
ブルーノ・マーズのアーティストページを開いて、アルバムのなかにUptown Funk と書いてあるのを見て「おお、これこれ」とワクワクしながらシャッフルプレイボタンを押した。最初に目当ての曲が出なくても、何回かはスキップできるし、そのあとは気長に待つか~という気分で。
そしたらなんとUptown Funk のイントロが流れ出したではないか!
無料版ユーザーならわかってくれると思うけど、目当ての曲が一発で出てくるのは相当ラッキーである。
でもこのアップタウンファンク、何かが違う。この違和感はボーカルが入ったとたん確信に変わった。
おせち○こ先生こと、和田アキ子によるUptown Funk 。和田アキ子がブルーノ・マーズをカバーする時代なのだ。知らなかった。別に知らなくてもよかった。Spotify無料版によって、実に微妙な音楽と出会ってしまった。
無料版ユーザーだからと言って、いくら何でも鬼畜すぎはしないだろうか。ブルーノ・マーズを聴きたがっている人に、和田アキ子を差し出すなんて。