ニートにハーブティーは要らない

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父の歯が抜けていく

 

 

題名のない音楽会」がテレビに流れる日曜日の朝、母が作ったウィンナーと炒め野菜とトーストが乗った食卓の上に、突如異質なゲストが現れた。

 

それは歯であった。

 

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「あぐッ」

 

と父が変なうめき声を出したゼロコンマ一秒後に、カランという音を立ててヤニに染まった長い歯が食卓の中央に躍り出たのだった。よくもまあこんな根の長い歯が、あんなにぽろっと落ちたもんだと今となっては感心する。

 

食卓の空気は凍りついた。

 

父も何が起こったのかよくわからないようだった。ポカンと開いた口の中では、犬歯の横のへんの歯が抜けて真っ黒なブラックホールのようだった。

 

 その歯は今でも母が保管している。

 

最初は屋根の上に投げようという話にもなったが、「もう生えてこねえべ」という父の諦念があまりに説得力に満ちていたのでやめた。母は笑いながら「なんでも記念になるからね」と言って、汚くて長い高麗人参みたいな歯を大事そうにしまっていた。

 

 そう、そのときは記念のつもりだったのだ。

 

しかしその後「父の歯が抜ける」ということは我が家にとって特別なことではなくなっていく。

 

 父の歯ぐきは非常に弱っており、生葉のCMじゃないけどまさに「熟れすぎたトマト」のようになっていたのだった。そんな歯ぐきではとても歯をキープすることなどできない。そんなわけで、歯医者に行くごとに少しずつ歯を失っていくようだった。わたしは当時中学生だったけど、将来は歯ぐきの強い人と結婚したいなと思った。

 

その後、父は順調に入れ歯街道を突っ走り始めた。

 

まずは部分入れ歯になった。

 

洗面台に父の入れ歯用のコップが用意され、寝ぼけてそれを使ったときは最悪の気分になった。

朝のあわただしいタイムスケジュールの中に、「お父さんが洗面台で入れ歯を磨く時間」という工程が増え、微妙なストレスとなった。

 

父は部分入れ歯になっても、ガンガンたばこを吸い、歯ぐきもまたさらに弱っていった。歯は減り続け、ほどなくして部分入れ歯では耐えきれないところまで来つつあった。

 

ところで、これは入れ歯あるあるらしいけど、入れ歯になった者は必ずと言っていいほど残りの「自歯」の数を自慢する。就活でもなんでも、人はやたら残弾の数を気にするものらしい。

 

父の場合も例にもれずそうだった。「まだ十本残ってる」と自信ありげに言われたときは、どう反応すればいいかわからなかった。そして、困ったことに父は残り僅かな自分の歯たちに「特別な呼び名」をつけるという変な癖があった。

 

 

七本残ってるときは「七人の侍」だった。

 

それが五本になり、「SMAP」となった。(今となってはアレですね)

 

それが「伊藤四郎」となり(もっといいの無かったのか)、「三匹の子豚」となり、

 

 

父はついに総入れ歯となったのだ。

 

 

総入れ歯となった父の、入れ歯オフ時の顔を初めて見た時の衝撃は忘れられない。そのときはもうわたしも高校生で、幼いころのように何かの光景が鮮やかに記憶に焼き付くということはほとんどなくなっていたのだけど、その父の顔はどうしたって忘れられないのである。

 

まず、人は歯が無くなるとこんなに顔が短くなるのかと素直に感心した。梅沢冨美男を縦に引き伸ばしたような顔だった父が、なぜか入れ歯をとるとくしゃおじさんと山崎方正を足して二で割ったような顔になった。

 

そして歯がない人間の口というのは、真っ暗闇に見える。光を反射するものが全くなく、不気味な洞窟のようにそれは開かれている。

 

グレートフルデッドベアというキャラクターを知っているだろうか。

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参照:http://www.dena-ec.com/keyword/%E6%B4%8B%E6%9C%8D%E3%80%80%E3%83%AA%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%80%80%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC/

 

こいつのように、父の入れ歯をしない口は真っ暗闇に見えた。

 

わたしはショックだった。今まで疑いようもなく父の顔だと思っていた顔が、まったく未知の闇を内包するものになってしまったことにショックを隠せなかった。母だけが笑い転げていたが、わたしと兄はほとんど涙目で見慣れぬ父の顔を見ていた。

 

「なんにゅうかおでみてんにゃよ。(なんちゅう顔で見てんだよ)」と、口から空気をむなしく漏らす父にうまく言葉が返せなかった。

 

しかし人間というのは慣れるもので、通常時と入れ歯オフ時の両方を自然な姿として受け入れられるようになっていった。父の歯がピンクレディー(二本)になったと知ったときも、もうなんとも思わなくなっていた。というか父の歯の状況をまったく気にしなくなった。

 

そしてわたしはそんな歯抜けの父が稼いでくれたお金で、大学進学を機に上京させてもらうこととなる。横浜の新居で引っ越し作業をしてるとき、母はずっと「水回りはきれいにしなさい」とか「昼間はカーテン開けて日の光を入れなさい」とか細かいアドバイスをわたしに与え続けた。一方の父はもくもくと作業し、そのりりしい表情は入れ歯オフ時の顔とはかけ離れていた。

 

一通り、引っ越しのことが終わり、ついに父と母との別れを迎えることとなった。横浜駅の雑踏の中で、ふたりはいつもよりずっと小さく見えて鼻の奥がツンとした。

 

母は別れ際に、「お米送るから、ちゃんと食べなさいよ。コンビニばっかり食べないで。」と日本のお母さんとして百点満点のことを言ってくれた。

 

そして、「ほら、お父さんも何か」と父にも別れの言葉を促した。

 

もともと寡黙な父はすこし面倒くさそうだったが、やっとのことで重い口を開いた。

 

「あの…歯、磨くように。思ったより簡単に、歯は抜ける…。」

 

わたしはもう父という人をよく知っていたので、とくに「今そんなこと言うか?」とかは思っていなかった。ただ、一つだけ聞きたいことがあった。

 

 

「お父さん、今、何本?」

 

 

ラストサムライ。」

そう告げる声は、雑踏の中でもすうっと耳に届いた。