あの頃、「いい匂いの練り消しをもってる子」がイケてた
子供の世界では、妙な条件がヒエラルキーを左右することがある。
わたしの頃の場合、いい匂いの練り消しをもってる子がイケていることになっていた。ここで言う練り消しは、男子が消しかすを集めてつくる鼻クソみたいなやつのことではない。上の画像のような、小さいプラスチックの箱に入った、カラフルで、フルーツやコーラのいい匂いがする練り消しのことである。
これが流行るまではみな一様に、ちゃおの付録のペンを使っていて、それを取りかえっこするのが社交だった。
そしてこの練り消しは完全にブームを塗りかえた。
皆がこのいい匂いのするぷにょぷにょした物体の虜になった。
ひとり、またひとりと練り消しユーザーが増えていった。
みんなこれを消しゴムとして使うのではなく、感触を楽しんだり、友達に匂いを披露したりするためだけに使っていた。そのときは練り消しの匂いの嗅がせあいが社交だった。
しかしちゃおペンのときのように、気軽に取りかえっこが行われることはなかった。格別に親しく思っている相手との信頼の証、もしくは気に入られたい相手への献上品としてひっそりとやり取りされていた。むぎゅっと練り消しを半分にちぎって、「はい、○○ちゃんにだけ」とささやくのだ。自らの手垢にまみれた練り消しを、誰かにあげるということは特別な意味をもっていたのである。
すると、人気の高い子のもとにはたくさんの練り消しが集まる。赤に黄色、オレンジ、ソーダ色、ピンク。色とりどりの練り消しは、ヒエラルキートップのあかしだった。その子は授業中、むっちゃむっちゃとたくさんの練り消しをもてあそび、マーブル模様にしていた。
トップがいればもちろん下もいる。せっかく勇気を出して、中心グループの子に話しかけて自分の練り消しをあげたのに「汚い」と言われて陰で捨てられている子がいた。その子は、自分のあげた練り消しもマーブル模様のなかに消えたのだと思っていたかもしれない。もちろんその子の手元には、半分にちぎられた自分の練り消ししか残っていない。
そしてトップもいれば下もいるし、ヒエラルキー外もいるのである。
練り消しを買いすらしなかった人々である。わたしがそうだった。
わたしはカドケシ派であった。カドケシを使っていると、「ああ、あのひとはカドケシの人だから」という暗黙の了解ができあがり、ナチュラルに練り消し社交から距離を置くことができた。一度「あっちの人」と思われるとあとは楽である。
わたしがカドケシ路線で、社交上のわずらわしさを避けているうちに練り消し文化は衰退した。授業中に練り消しを触る生徒たちに担任がキレて、教室への持ち込み禁止になったのである。
その後はカドケシが流行り、わたしは第一人者として一目置かれた時期もあった。しかしそれももう昔の栄光。
狭いコミュニティのなかでの価値基準なんて、無根拠でテキトーで移ろいやすいものである。これを小学校のときの練り消しブームから学んだ。