ニートにハーブティーは要らない

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結婚に結びつかない恋愛は無価値なのか

夜景 フリー素材 に対する画像結果

その恋愛、無駄無駄無駄無駄ァ!!!!?????

 

 友達に言われた。

 

「結婚に行きつかない恋愛は人生において無駄。何度でも言う。無駄。」

 

 思わず器官に何かがつまってむせた。こんなにも人生への考え方が違うものなのか。

 

 その子は、勝手にすごくウマの合う子だと思っていた。容貌は由緒正しい家から盗んできたお雛さんみたいな感じなのに、アングラ映画やお笑いが好きで下ネタにもヌワハハ!と良い反応をする、おもしろい子なのだ。こんなに保守的な恋愛観を持っていたなんて知らなかった。

 

 その子には9つ上の彼氏がいて、もう両親にも紹介されたらしい。両親にもたいそう気に入られてバーベキューに誘われるなど、いわゆる「囲い込み」を受けている状況だそうだ。そんなことをうんざりした雰囲気で言うものだから、てっきり結婚なんかしたくないのかと思った。でも結婚しない恋愛は無駄だから、ここで片付いてしまいたいというのだ。どうゆうこっちゃ。

 

 わたしには、結婚に結びつかない恋愛が無駄であり、時間を使うに値しないものだとする考えがよく理解できない。恋愛なんて、結婚からも未来からも宙ぶらりんで、ふたりでこれからどこへ向かうかもわからないから煌めくものだと思うのに。彼女のほうでも、わたしが何を考えてぴょこぴょことくだらなさげな恋愛をしているのかが不思議なようであった。

 

 どうやらわたしと彼女は、そもそも人生のとらえ方が大きく異なっているようだ。

 

あなたは物語派?断片派? わたしはいうまでもなく断片派

 「物語派」、その生き方

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 彼女には申し訳ないが、彼女の人生のとらえ方を勝手に「物語派」と呼ばせてもらう。

「物語派」は、人生を進学、就職、結婚、出産、子供の成長、退職、老後、終活といったいくつかのライフイベントから成り立つ「物語」と考えている。物語の進行に不要な、くだらぬ恋愛、会わなくなった友人、昔住んでた部屋の壁のシミ、通勤列車から見た人んちの洗濯物、どこかのおばちゃんが着てたTシャツに書いてた「BBA」という文字。そんなものたちは「物語派」にとって捨象されるべきものなのだ。

 

「物語派」にとって重要なのは、プロットを構成するライフイベントのみである。結婚に結びつかなかったくだらぬ恋愛が、そのプロットのなかにもぐりこめるとしたら、「幸せな結婚に至るまでに必要だった、ちょっとした失敗あるいはほろ苦い思い出」という体裁になる。結婚というライフイベントのための伏線といったところか。「わたしの幸せな人生」というひとつの大きな物語を成立させるための要素としてしか、存在できないのだ。「なんか、なんともいえないけれどあれはあれでよかったやつ」としては存在できない。

 

 結構極端な言い方をしてしまうとそんな感じである。極端でごめんなさい。

 

「断片派」、その生き方

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 「断片派」は、その名の通り人生を無意味な断片の連続と考えている人のことである。断片どうしがつながって、なんらかの「物語」を紡ぎだすということはなく、ただ無意味なものとして転がっているだけである。そしてそんな無意味な断片を、無意味なもののまま大事に覚えているのが「断片派」である。

 

 天丼を食べる恋人の唇が叶恭子みたいにテラテラと光っていたこと、顔を赤くしている恋人の顔を見て「ミニトマトみたいだ…」と思っていたあの喫茶店のソファーのきしみ具合、キャノンの新しいカメラの話になると途端に饒舌になったこと、腕の毛を勝手にむしったら「いったいなもう!!」と叫んだこと、ハーブの香りのワックスを使って誇らしげだったのに実際嗅いでみたら古びた桜餅みたいな匂いがしたこと。

 

 恋愛だなんだと言ったって、こんな断片ばかりを大事にしている。もはや恋愛なのかもわからないけれど。これがどう結婚への伏線になろうか。「わたしの幸せな人生」という物語を構成する要素になろうか。

 

 でも、恋愛の楽しさはこういうなんともいえない煌めきを放つ断片を拾い集めることだと思ってしまう。彼女がいう「無駄な恋愛」も、わたしにとっては煌めく断片の集まりであって、それはずっと価値を持ち続けるのだ。物語の要素にもならず、ただ「そのもの」として煌めき続けるのである。

 

こういう「断片派」がライフイベントをどう乗り越えているかというと、やはりただの断片として受け止めながら過ごしているのである。たとえば卒業式も「体育館にあんなステンドグラスあったっけ…」と思っているうちに終わっている。進学もなんとなく、就職もなんとなく(とは行かなかった)、おそらく結婚することがあっても「なんかコオロギみたいなタキシードだな…」とかくだらないことを考えながら式に臨んでいるだろう。

 

「物語派」と「断片派」のハイブリッドになれるか

読者登録してる方のブログより

 

就活。婚活。終活。

人は、「○活」に追い立てられ、社会的に必要とされるライフステージを順番にクリアしていくことでしか、自分の人生に自信を持つことができないのでしょうか……。

こうバカにしても、私は大学3回生。就職をしなくても生活していけるような身分でもありません。嫌々ながら、就活システムに自分から組み込まれ、何とか雇ってくれる企業を探そうとしています。

 

でも、人生の大きな物語に回収されないことーーそれは、通勤中に見た鳩だったり、昨晩ラジオから流れた曲だったりーーが、むしろ「人生」なんじゃないかなあと私は思うのです。そして、大きな物語ーー出世とか、自己実現とか、幸せな家庭とか?ーーより、その小さな燦めきを拾っていくことに生きる意味を見出したい。なんて思っているので就活が迷走中なのです……。

大きな物語が回収できない燦めきを拾い集めること - Diary

 

 そう、無意味な断片を愛し、ライフイベントをあまり意識しない「断片派」はこの社会においては結構苦労するのだ。生きていれば、気合いを 入れないと乗り越えられないライフイベントというのが必ずあるはずである。そこで、ぼーっと美しい断片を見つめているだけではどうにもならない。

 

 そういうときには「物語派」のライフイベントへのモチベーションの高さを見習いたい。「ここで踏ん張んなきゃ、残りの人生ヤバいもんね★ミ」くらいに思って乗り越えたい。

 

 逆に「物語派」の彼女も、「断片派」になることだってあるだろう。昔の彼氏のしょうもない癖を思い出して、フッと笑うこともあるだろう。あんなにくだらない映画が好きな彼女だから、本来そういうくだらない断片も好きなはずである。人生において役立たないそれらを愛おしむ時間をもっているかもしれない。

 

 わたしたちはどうやら歩み寄るべきだよ。

 

 でも、目下のところゴールを特に見据えない恋愛しかするつもりがない。

 無意味に煌めく断片をまだ集め足りない。