ニートにハーブティーは要らない

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一人称がない男と付き合っている

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 わたしの恋人には一人称というものがない。正確には「僕」と呼ぶはずなのだけど、めったに言わないので、ないようなものだ。そもそもが無口なので、言語そのものをあまり口にしないのだけど、一人称に関しては言うのを巧みに避けるようにして暮らしている。

 

 そのことには付き合う前から気がついていた。

 食事に行くようになって二回目くらいのときに、「一人称ないでしょ?」と聞いたら「よく気がついたね」と言った。

 

「なぜ?」

「僕も俺もなんか違う気がして恥ずかしい。」

「不便じゃない?」

「やや不便」

「このピザは誰が頼んだのさ」

「……(小さく手を挙げる)」

 

 たしかこんな感じの会話をした。不便さを感じながらも、「僕」や「俺」を使うのが恥ずかしいからと言って、ほとんど一度も口にせずに20年間くらい生きてきた男がいるのだ。わたしは驚いた。

 

 人はおのずと自分にあった一人称を選び取っていく。

 俺、僕、わたし、あたし(主にaiko)、ウチ(misono)、わたくし、わっち、小生(インターネット上でのみ、中高年男性が使用する)、わし、あたい、おいどん、おら、わちき(椎名林檎もしくは石川さゆり)。

 

 一人称の選択を左右するのは、「他人からどう思われたいか」という観点だ。常識的な人だと思われたいか、男らしい人だと思われたいか、ちょっとおてんばな感じだと思われたいか。一人称を使うということは「オレは、自分のことオレって呼ぶタイプの人間だと思われたいでーす!!!!」とアピールするようなものだ。言い過ぎか。

 

 どうやら彼は一人称を使うということは「他人からどう思われたいか」を明かすことだと考えていて、それがなんか恥ずかしいようだった。こんなに面倒くさい男がいるものか。恥の多さは感受性の強さでもあるだろうけど、このひとはちょっと恥じらいすぎている。

 

 男の一人称はだいたい「俺」か「僕」である。彼はそのいずれにもためらいを見せている。

 

「俺」はなんだか強引そうな感じで、自分には明らかに似合わないと言った。

 

 そう、彼はかなり「僕」寄りのルックスをしている。ひょろながい身体に、シマウマみたいな優しそうな顔がちょこんと置かれているような感じだ。服装は無印良品(本人いわくMUJILABO)かアーバンリサーチのこれでもかというくらい「ふつう」な服を着ている。まちがっても妙な位置にスタッズが付いていたり、Tシャツが絞り染めだったり、Vネックが深かったりしない。星野源のスタイリストにでもなればいいのにと思う。

 ルックスだけでない。言葉遣い、物腰も明らかに「僕」寄りである。クソとかバカとか言うのを聞いたことがない。いつもゆっくりと丁寧に話す。ちょっと個人的に気になっているのは「むずかしい」をわざわざ「むつかしい」、「あそこ」を「あすこ」と言うところだ。まあ別に間違ってはないんだけど、江戸川乱歩の少年探偵団かよと思ってしまう。「それ気になる」と2回くらい言ったが、治す気はないようだ。

 

 とにかくここまで「僕」寄りなんだから、「僕」にすれば良いじゃないかと思うだろう。しかし彼の恥の意識をなめてはいけない。ここまで「僕」寄りでいて、マジで一人称を「僕」にするのは逆に恥ずかしいというのだ。「なんだかあざといんじゃないか」と余計な心配をしているようだった。彼のやや弱気なルックスとファッション、ソフトな物腰が、「僕」という一人称を使うことによって、なんだか演出じみてしまうと思っているのだろう。

 

 しかしどう考えても「俺」なタイプではないので、一緒に話し合った結果「僕」にしようとなった。そして二人で会話をするときは「僕」を使う練習の場にしましょうと約束した。

 

 そこからわたしは

 

「で、誰がやったの?」

「誰の血液型がB型なの?」

「わたし今誰と話してるの?」

 

と足を組みながら鋭い言葉で追及する、怖い女になった。彼が自分のことを「僕」と呼ぶのを聞きたいというだけなのに、妙にノッてしまって怖い女になった。

 

 それに彼が真っ赤になりながら

 

「アッ…、ぼ、僕…」

 

と返すたびに謎の高揚感が生まれた。

 

 なぜかいけないことをしているかのような気分になった。この一人称プレイとも言えそうな状況にハマってしまって、なんだかんだと会ううちに付き合うことになった。

 

 あれから月日が流れ、最近は二人ともたるんでいる。彼は「僕」と言うのを避けるように暮らしている。

 

 かなりご無沙汰になった一人称プレイを再開しようかと思っている。