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だめ女の文学 川上弘美『溺レる』

 だめ女の底なし沼 川上弘美『溺レる』

溺レる (文春文庫)

溺レる (文春文庫)

 

 

ダメな女と聞いたらどんな女を思い浮かべるでしょうか。

浮気する女、嘘をつく女、意地悪な女、他人の男を略奪する女、金を巻き上げる女、酒やクスリに溺れる女…

 

こう並べてみると、なんだかアグレッシブな悪女のイメージが浮かびます。しかし悪女とはいえ、結構なことじゃないですか。自分の欲望がはっきりしていて、何らかの主体的な行動をしているのだから。

 

わたしが愛する川上弘美文学にはそんなアグレッシブな悪女は登場しません。意志も薄弱で、どことなくゆるっとだらしがなくて、自分の欲望の在りどこもわからない。男と恋愛もどきをしても、どこか夢から覚めていない少女のようであり、一方で諦念に支配された老女のようでもある。あるんだかないんだかわからないような性欲を引きずって、掴みどころのない男たちを渡り歩き、埒もない会話をする。ダメはダメなんだけど、あえて「だめ女」と呼びたい、ふわふわとしたクラゲのような生き方をする女たちが出てきます(そうでない作品もありますが)。

 

こうしただめ女たちの恐ろしいところは、他者に対する受容性が著しく高いところです。確固たる自分を持たない代わりに、相手のことはどこまでも受け入れる。生ぬるいゼリーの海のように、男たちを包み、あまやかし、だめにしてしまう。だめ女とは、男のこともだめにしてしまう女なのかもしれません。男たちは「こいつならおれのことを当てにしてくれる」と半分見下すようにしてだめ女とつるんでいるつもりでも、実はその生ぬるい海に溺れて身動きが取れなくなっているのです。

 

川上弘美におけるだめ女文学の金字塔とでも呼べそうなのが、短編集『溺レる』です。ちょっと引くくらいだめな女がたくさん登場します。川上弘美のすばらしい書き出しを引用しながら、だめ女どもを紹介していきます。

 

さやさや

うまい蝦蛄食いにいきましょうとメザキさんに言われて、ついていった。

 

メザキさんというほんのり思いを寄せている知人に誘われ、蝦蛄を食いに繰り出したサクラさんという女。グロテスクだけど美味な蝦蛄を二人して狂ったように貪り食い、徳利を空にして、気が付けば店は閉店、帰るあてもなくなっていた。そしてこのサクラさん、暗い夜道で唐突に放尿します。

 

そこに、ちゃんと、いる?メザキさんの声だった。います。ここに、います。出はじめると、とめどなく出た。さやさやという音をたてて、雨と一緒に葉をぬらした。目を閉じて、放尿した。サクラさん、さみしいね。メザキさんの声がした。さみしいね、おしっこしてても、さみしいよ、メザキさん。空の濃紺がまた薄くなった。

 

「さやさや」って良い感じのタイトルだと思ったら、放尿の音だったのかよ。この人に関しては、だめ女というより放尿の人ですね。ほのかに良いと思っている男性と夜道を歩いているときに、いきなり野ションして「さみしいよ」ってかなりの上級者だと思います。

 

 

溺レる

少し前から、逃げている。

一人で逃げているのではない、二人して逃げているのである。

逃げるつもりはぜんぜんなかった、逃げている今だって、どうして逃げているのかすぐにわからなくなってしまう、しかしいったん逃げはじめてしまったので、逃げているのである。

 

モウリさんというちょっと、いや大分頼りない男に連れられて逃避行をするコマキさん。とくにモウリさんのことを盲目的に愛しているというわけではないのに、なりゆきに身をまかせてなんとなくついて来ちゃったという感じがほんとにだめ女。

 

「好きだって言ってるのに、いつも言ってるのに、コマキさんわからないんですか」

 

「コマキさんは少しばかですね」モウリさんは湿った声で言った。

「コマキさん、あなた何も覚えていなんでしょう、世の中のこと、何も身についてないんでしょう」

 モウリさんにそんなことを言われるとは思ってもいなかったので、驚いた。幼いころの、ゆらりとした気分が濃くよみがえった。

 

モウリさんは、コマキさんのだめっぷりに安堵してきたくせに、不安に駆られるとこうして責めてしまう。キャバクラでまあまあ楽しんでおきながら、「親が泣くぞ」とかいきなり説教を始めるオヤジと少しだけ似ている。

 

百年

死んでからもうずいぶんになる。

サカキさんと情死するつもりだった。それなのにサカキさんだけ死なずに残った。

私だけ、死んだ。

死んでからは、迷ったり、念がこうじて幽霊のかたちであらわれたり、いろいろとあったが、今ではもうなんということもない。ただ、サカキさんのことを強く思うばかりである。

 

なんと語り手の女は死人である。心中をはかって一緒に崖から飛び降りて、自分だけが死に、相手の男、サカキさんは漁船に拾われて助かった。そして87歳で大往生したという。女の魂だけが取り残されて、サカキさんのことを思っている。サカキさんは女を少し憐れむように、愛おしむようにこう言っていた。「おまえは坊ちゃんのきよのような女だ」と。つまり、愚か者だけど自分をまっすぐに信じて愛してくれる女だと。都合のいい話だ。

 

サカキさんはつないでいた手をはずして私の正面にまわり、強く抱きしめた。

ばかだな。おまえほんとうに清そっくりだな。

きよ?

前に言っただろう、漱石の。

どうして清なの。

『坊ちゃん後生だから清が死んだら坊ちゃんの御寺に埋めてください。御墓の中で坊ちゃんが来るのを楽しみに待っております』って言うんだよ、清が死ぬ前日に、坊ちゃんに向かって。

 サカキさんはこの最後に至って感じ入っている様子だった。私は清とは違うのに、重ねて、感じ入っている。

 

 

「私は清じゃないわ」って強く言い放てばいいものを、この女はなにも言わないのである。めんどうくさいから。

 

さいごに

ざっとこんな感じで、だめ女博覧会と化しております。他にも「あなた虫に似てますね」という謎の口説かれ方をしてしまう女や、数百年もの間生き続けてる女も登場します。

 

この記事でこの本を読みたくなった方がいるかどうかはわかりませんが、はまる人はどっぷりはまると思います。なにかエンターテイメント性もなければ、ロマンティックでもないけれど、シュールで、さみしい。

 

だめ女に溺レてみてください。