ニートにハーブティーは要らない

ニートにハーブティーは要らない

よく深夜に更新します

思い込みの激しさと見せしめのような叱り方

 今日はすこし暗い話を。

 

 昔担任だった先生が、パワハラで訴えられていた。体罰はなかったものの、行き過ぎた指導があり、自殺の原因をつくってしまったとのことだった。真相がどうなのかはわからないし無責任なことは言えないけど、昔この先生に怒られたとき「こりゃー怖いな」と感じたのを思い出した。単なる回想です。

 

 わたしはそのとき日直当番だったので、クラスメイトの日誌を全員分職員室まで持っていく必要があった。するとクラスメイトのピコリちゃんが「ねーねー私代わりに持ってくよ。サカタ先生に会いたい。」と言ってきた。その子は職員室大好きっ子だった。何人もお気に入りの先生がいて、いつもまとわりついて質問をしているような子だった。なぜかハゲている先生に懐くなど、憎めないところもあった。そんな子が代役を申し出てくれているのだから、わたしも断る理由はなかった。わたしは職員室に行かなくて済むし、その子は大好きな先生たちに会えるしでウィンウィンの関係性。ラッキー!と思いながらその子に仕事を託して、さっさと帰宅した。

 

 次の日の朝礼で、その担任の先生は最初からわたしの方をちらちらと睨んでいた。そして朝礼が終わるころ、「もう我慢できない」という感じでバーンと机をたたき、「おいおまえ!!!」とわたしを指さして怒鳴った。

 

「昨日、おまえ日直だったよな。なんで日誌持って来なかった!ピコリをパシっただろ!!!!!」

 

「いえ、ピコリちゃんが持っていくと自分から言ったんです。」

 

「そう仕向けたんだろ!!!陰湿なことはやめろ!!!人間のクズだぞ!!!!」

 

「いや、だから…」

 

「言い訳は聞きたくない!!!ふざけるな!!!!!最低だぞ!!!!!」

 

 ちょっとラッキーと思って怠けたわたしは、なぜかクラス全員の前でいじめっ子に仕立て上げられてしまったのである。これは思春期のわたしにとってはまずまずつらいことだったと思う。みんなの前で見せしめのように、何を言っても聞いてくれない先生に一方的に怒鳴られ続けているのである。恥ずかしかった。

 

 このとき先生はおそらく悪気がなく、正義感で血がたぎっていたのだと思う。体育会系っぽいオーラがないわたしがもともと気に入らなかったのかもしれない。陰湿ないじめをしそうなタイプに見えていたのかもしれない。そこにパシリ疑惑が生じて、いてもたってもいられなくなったのだろう。

 

 

それでもボクはやってない

それでもボクはやってない

 

 

 

 いきなりクラスメイト全員に対して、自分のネガキャンが行われるという最悪の状況。しかも相手は逆らうのが難しい大人。言葉がつまってうまく反論も出てこない。反論したとしても怒鳴り声がエスカレートするだけだろう。これまた最悪なことに、ピコリちゃんは沈黙を守っている。なんでだおい。「四面楚歌」という言葉が浮かんだ。お気楽に生きてたけど、これはちょっとつらかった。あとで周りの人が「災難だったね」と言ってくれたのが救いだった。

 

 そしてしばらくあとに、学期末の保護者面談があった。うちの母は「担任の先生、あんたのことすごいほめてたよ。成績も優秀で、友達とも楽しそうにやってるって。なにも心配いりませんって。」とうれしそうにしていた。わたしは、「なるほどこうして出世してくのか」と思った。あのときの魔女狩り裁判的なやつはなんだったんだ。あんなふうに叱るなら「お宅のお子さんは、少々人格に問題があるようです」と報告すべきだろう。もうええわいという気持ちになった。

 

 わたしはそれからも元気に学校に通った。でも、あの先生の叱り方をまともにくらって大きなショックを受けてしまう子もいるだろうなあと思う。まして部活の現場ではもっと厳しかったかもしれない。人の傷つきやすさというのにもばらつきがあるし、そのときにおかれている環境によっても傷の深さが変わってくる。疲れていて、視野がせまくなっているときに怒鳴られると、「もう死ぬしかない」と思ってしまうこともあるだろう。

 

 精神的な不調の原因を、過去に親から受けた仕打ちだと考える人は多い。一時期の「毒親」ブームで、一層その傾向は高まった感がある。でも、意外と盲点なのが教師との不和である。子供のころ、教師という身近な大人は絶対的な規律として存在していた。親とは違い、まったくの他人である教師。彼らから受けた否定は、結構深く心に刻まれる。しかし卒業すると、彼らのことなんて忘れてしまう。でも傷だけは残っていて、この精神的な不調は何なんだとなる。それをすべて親のせいだと思い込むとまた違う悲劇が生まれる。

 

 しかもこうした教師との不和は、親にも相談しづらいことである。自意識をもてあました子供は、すぐに「逃げ場がない!」という思考に陥ってしまう。つらいことである。親は「友達とうまくやっているか」ということと同じくらい、「先生とはうまくいっているか」ということを気にするようにしたほうがいいと思う。

 

 あの先生は良いところもあって、慕っている生徒もいた。まあまあ元気に学校に通っていたことを考えれば、わたしもそんなにその先生を嫌っていたわけでもなかったと思う。先生はたまにおもしろいことも言った。でもあのときの理不尽な叱り方は忘れられない。

 

 最近パワハラを訴えられているスポーツ関係者たちは、みな悪気がなさそうである。でも選手たちは精神的にギリギリのところまで追いつめられている。その苦痛の大きさは、与えた側にはまったく想像ができないのである。どこまでがパワハラなのかという疑問には答えがない。されたほうが苦痛を感じたらパワハラである、とすればキリがない。厄介すぎて頭を抱えたくなる。

 

 亡くなった方のご冥福をお祈りして、あとはもう何も考えたくない。