ニートにハーブティーは要らない

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思ったことを書いています

父という名の野性

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「ちょっと川の様子見てくる」

 

死亡フラグとして名高いこのセリフ、うちの父親は実際に言った。(ふつうに生きている)

 

毎年台風が来ると、川の様子を見に行って転落して死ぬ人がいる。こちらとしてはなぜそんなに川が気になるのか不思議でしょうがないけど、彼らからしたら何か抗いがたい衝動に導かれて川へ足が向かうのだ。

 

――川に行かなければいけない。川へ行きなさい。

 

それは野性の衝動とでもいうべきか。

 

小さい頃、大型台風のなか川の様子を見に行くと言った父を母と一緒に止めた。我が子の手を振り払い、父は愛車のダークグリーンエスクードに乗って消えた。窓にはビタビタと雨が打ち付けていた。「お父さん死ぬかもな…」と思った。

 

結局父は生きて帰ってきた。母やわたしは「台風のときに川の様子を見に行く人はおかしい」と小言を言った。すると普段縄文土器のように無口な父は、顔をぐにゃりと歪めて聞いたことのないくらいの大声で怒鳴った。

 

「アユ釣りの下見に行ったんだ!!!!口出しするな!!!!!!俺にかまうな!!!!!!」

 

あまりに怖かった。父の顔が崩壊して、縄文土器のするどい破片がこちらへ飛んでくるような感じがした。父に自然が乗り移ったんだと思った。

 

穏やかな気候と恵みをもたらしてくれる自然に安心しきり、未曾有の天災が起こればその凄まじい威力におののく。そして天災が過ぎ去れば、あの恐ろしさを忘れ、ふたたび安心しきってしまう。わたしの父への距離は、ちょうど自然との距離のようだった。

 

わたしはいつでも安心して生きていた。でもその安心を、父はときどき壊しに来た。

 

父は野菜でもフルーツでも魚でもとにかく旬の新鮮なものを、まるごと食べるのが好きだった。夏はとうもろこしやトマト、秋はぶどうやゆでた栗、冬はワカサギ、春はなんだっけ。たまに大きな肉の塊を燻製にして食べさせてくれた。わたしは父の食へのワイルドなこだわりが好きだった。小さい頃はとくに「食べ物をまるかじりする」ということを最高にかっこいいことだと思っていたので、ウッドデッキで父の横に座って汁を滴らせながらプラムやトマトを食べ、近所の友達に見せつけていた。父はそんなわたしに「お前は食への好みが俺と似ている」と満足そうだった。

 

しかし、父の食へのワイルドなこだわりは行き過ぎていた。

 

その日は山奥にある父の実家へ向かっていた。うっそうと茂る木々の中を、いくつものカーブを超えて登っていく。わたしは、結構スピードを出しながらも器用にカーブを曲がる父の運転に安心しきってくつろいでいた。すると父がいきなり「あっ、アレは…!!!」と言って、急に車を止め外に出たかと思うと、ものすごい勢いでガードレールの向こうの木に登り始めた。落ちたら死ぬ高さの木に、ためらいなく登り始めた。

 

怖かった。やっぱり父は命知らずだった。母が悲鳴を上げた。

 

木はあまり頼りがいのあるものではなさそうで、しなっている。父はそこにしがみつき、なにやら懸命に別の木に手を伸ばしている。

 

しばらく格闘したあと、父は心底くやしそうに戻ってきた。

 

「サルナシの実を、おまえたちに食べさせたかった…」

 

キウイフルーツの野生種ともいわれるサルナシは、稀少性が高く幻のフルーツと呼ばれている。父はその実をものすごい動体視力で発見し、わたしたちに食べさせようと命知らずの木登りをしたのだ。これは、人間の親子の在り方なんだろうか。つがいに必死で木の実を運ぶ野性の鳥のようではないか。

 

母曰く、つき合っているときからサルナシの実を食べさせようと木に登りだすことがあったらしい。しかし、これほどの危険を冒したのは初めてだったとも言っていた。わたしはあまりに濃い父の野性を目の当たりにして、足がすくむようだった。

 

そのほか、父はあらゆる衝撃体験をわたしたちにもたらした。

 

ある日、「クワガタを採るぞ!」と張り切る兄とわたしを、父はエスクードに乗せて湿った雑木林に連れていった。

 

林に入ると、なんだか違和感を覚えた。そこかしこが茶色いモザイクのように見えた。木々の緑は上に遠く、わたしと兄は落ち葉のようなものを蹴りながら進んだ。

 

「おとーさーん、ほんとにクワガタいるー?」

 

「いるんじゃーないか?」父は後ろから言った。

 

するとそのときボタボタボタッと何かが上から降ってきた。わたしたちの前に、腐って茶色くなったバナナのようなものが五つ六つ転がった。わたしたちは足を止めた。

 

よく見るとバナナはうねうねと動いていた。それは木々の養分を吸って育った、巨大なナメクジだった。ナメクジは高いところから落ちた衝撃で、腹をみせながらのたうち回っていた。

 

クワガタを採りたかっただけの幼い兄妹は泣き叫んだ。

 

あたりを見回すと、茶色いモザイクのようにみえていたものは全てナメクジだった。落ち葉のようにみえていたものもナメクジだった。そこかしこで隙間なく呆れるほど大きいナメクジがうごめいていた。そこはナメクジの森だった。

 

わたしと兄の泣き叫ぶ声が、木々にこだました。その声に反応するかのように、上からはナメクジが降り注いだ。こんなときこそ頼りにしたいのが父親である。父の方を振り向いてみると、

 

 

見たことないくらい笑っていた。

 

降り注ぐナメクジ、地面でのたうち回るナメクジ、木の幹でうごめくナメクジ。萩原朔太郎がこの光景に出会っていたら「竹」を「ナメクジ」に差し替えていただろう。そんな地獄絵図の中で父は笑っていた。水を得た魚のように、肉を得た獣のように。悲鳴と笑い声が共鳴するナメクジの森であった。

 

父はそばにある木を揺すった。するとおびただしい量のナメクジが降ってきた。「お前らもっとちゃんと粘着しろよ!」と今なら思えるけど、本当に心臓が止まるほど怖くてそれ以降の記憶がほとんどない。父が何を思ってわたしたちをナメクジの森に連れていったのか、今となっては謎に包まれている。

 

またあるとき「川に連れていく」と言われ、兄と一緒に無邪気についていった。季節は覚えていない。

 

連れていかれたのは岩のようなものに挟まれた、そこそこ大きな川だった。「なんか中国っぽい」と思った記憶がある。わたしと兄は水辺が好きなガキだったので、はしゃいで石を投げたり、水をパシャパシャして遊んでいた。

 

すると父が「あれ見ろ!!!」とうれしそうに叫んで呼び寄せた。隣に並んで川の上流を見たわたしたちは、目を疑った。

 

何十組ものカエルのカップルが、葉っぱに乗っかって交尾しながら流れてくる。カエルは見たところ拳くらい大きく、茶色くよどんだ色をしていた。そんなカエルが二匹重なって、おんぶみたいになっている。それが何十組も、しかも葉っぱに乗っている。カエルの間でそういうファックが流行っていたのだろうか。時々川の流れに翻弄されて、くるくると回ったりなんかしながら押し寄せてくる。壮観だった。

 

そのときはもう怖いというより、圧倒された。わたしたちの知らないところで、自然のなかでは本当に驚くような光景が繰り広げられているのである。父はそれをわたしたちに見せたかったのだろうか。

 

父によってもたらされた衝撃的な体験を回想してみた。あまりにぶっ飛んだ内容なので、自分の記憶に自信が持てていなかったんだけど、この間兄に聞いてみたら「それは全部本当にあったことだよ」と言われ、改めて鳥肌が立った。父はやはり自然そのもののようである。こうしてときどき恐ろしさを思い知らされる。

 

ただ、これを読んだ皆さんに言いたいのは、「ヤマナメクジ」で検索してはいけないということのみである。