ニートにハーブティーは要らない

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うそつきカンちゃんのこと

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中学生のころ、ちょっと闇の深い友達がいた。カンちゃんと呼ばれていたその子は、ぽっちゃりしていて目がクリッとしていて愛嬌のあるルックスをしていた。でもときどき、底なし沼のように暗い目をしていた。わたしはその子と同じ剣道部に入っていて、あんまり上手じゃない者どうし結構仲が良かった。

 

わたしの中学ではリストカットが流行していた。親が嫌いな子が多かった。だからカンちゃんのような闇の深い女子もそうめずらしいものではなかった。でもカンちゃんはズバ抜けてうそつきだった。しかもどうでもいいような、まったく無意味なうそをついた。

 

あるときは、「竹刀にびっしりと死ねという文字が彫られていた」と騒いだ。昨日はまっさらだった竹刀に、「死ね」という文字が彫刻刀のようなもので彫られていたのだそうだ。カンちゃんは「この部内の誰かがやったんだよ」と口を尖らせた。

 

カンちゃんは部内でも愛されていたし、そんなことをやりそうな人ははっきりいっていなかった。しかも竹刀にびっしりと彫るなんて、相当執念深くないとできない。

 

でも、あのころのわたしたちは疑うことを知らなかった。みんなで心配してカンちゃんにたくさんの質問をした。

「その竹刀はどこ?」

「竹刀は昨日置いて帰ったの?」

「誰か心当たりは?」

「剣道部以外の人からやられた可能性は?」

「カンちゃん大丈夫?」

 

カンちゃんは焦ったかもしれない。質問にはあまりまともに答えなかった。

「死ねと彫られた竹刀は家で燃やした」とだけ言った。

 

ここで初めて部員はカンちゃんを疑い出した。「ふつう証拠になる竹刀燃やさないだろ」となったのだ。しかも「竹刀燃やすなんて大変だろ」と。

 

そんな喧噪をよそに、わたしは竹刀を燃やす火を映したカンちゃんの暗い瞳をぼーっと想像していた。わたしはあまりに疑うことを知らなかった。要はリテラシーがなかった。

 

なんというかアホの子だったのだ。勉強は学年で一番できたけど、どことなくマヌケでちょくちょく怒られている要領の悪い子だった。隣の席の男子が英語の教科書をバッて開きながら「なあ、コレ逆さまに読んでみろよ」と言って、「,(コンマ)」を指さしてきたとき、元気いっぱいに「マ○コ!!!」と発して爆笑された女である。マヌケの極み乙女ではないか。

 

そんなわたしだったので、カンちゃんの言うことをいちいち真にうけていた。

 

忘れられないことがある。

 

ある日カンちゃんとわたしは更衣室で着替えをしていた。こういうとき、思春期の女同士の話題は「バストの成長」についてである。カンちゃんは小柄な割に、すでにでかかった。わたしはそれがうらやましくて、「カンちゃんがエベレストならわたしは東根山だよ~」と少ないボキャブラリーでおもしろいことを言おうとしていたような気がする。カンちゃんはまんざらでもなさそうだった。そして、誇らしさがそうさせたのか、とんでもないことを言った。

 

「わたしもう母乳出てるからね?」

 

マヌケの極み乙女は素直に衝撃を受けた。え、もうそんなことなってんの?母乳?超カッケェ!!!!カンちゃんクラスになると、もう母乳出るんだ!!!!

 

なぜかカンちゃんの母乳カミングアウトに素直にリスペクトの意を表したわたしは、次々に質問をぶつけた。

「いつから?」

「なんで?妊娠しなくても出るの?」

「おっぱいがでかい人は普段から出てるの?」

 

カンちゃんは疑うことを知らないわたしの目を見て何を思っただろうか。苦しかっただろうか。ほんとは「それうそでしょ?」と言ってほしかったのかもしれない。そのほうがよかったのかもしれない。

 

カンちゃんの母乳話に感銘を受けたわたしは、部内の他の女子にも言いふらしてしまった。「カンちゃん母乳出たんだって!ヤバくない?凄くない?」

 

するとカンちゃんは言った。「何のこと?べつに言ってないし!」 

 

うそだったんだなとそのときやっと気が付いた。ずっとうそだったのだ。

 

カンちゃんはよく暗い目をしていた。手首が傷だらけで、いつも爪をかんでいた。カンちゃんの暗い目にはわたしはどんなふうに映っていただろうか。無邪気に信じてきて、ゆっくり首をしめてくるひとみたいに見えていただろうか。

 

近年「嘘松」という言葉が出来て、インターネット上で虚言で気を引こうとする人を糾弾する動きが目立つようになってきた。人は大なり小なりうそをつくものだけど、インターネット上であまりにわかりやすいうそをつくと目立ってしまうのだ。嘘松の人が粗を探されて、不特定多数のひとのおもちゃにされているのを見るとわたしはカンちゃんを思い出す。

 

うそつきは苦しいだろう。信じられても、疑われても。