ニートにハーブティーは要らない

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よく深夜に更新します

変なおにいさんとニセの札束

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落ち葉が舞う季節になると思い出してしまう人がいる。

深く関わったわけでもない、ほとんど人生が交わらなかった人なのだけど、どうしても忘れられない瞬間があるのである。

 

わたしは小学校低学年だった。

 

田舎の、周りが雑木林になっている小学校。裏には墓地があった。そこに毎日20分くらいまっすぐな道をてけてけと歩いて通っていた。道にはときどきおかゆのようなものが点々と落ちていて、そのときのわたしは知らなかったのだがそれは酔っぱらった大人の吐いたゲロなのだった。そしてゲロの先にはポツリと養老乃瀧が建っていて、そこに来ると「やっと通学路もあと半分だ」と思うのだった。

 

おかゆをよけて歩くわたしの横を青い影がかすめる。

 

それは自転車に乗った、上下青ジャージのおにいさんだった。背中に竹ぼうきをかついで、酔っぱらっているのかと思うくらいヘロヘロに自転車をこいでいた。それは毎朝のことで、わたしはたまにおにいさんの自転車にひかれそうになった。それにもかまわず、おにいさんは「フフフ~ン♪」みたいに鼻歌をうたいながらヘロヘロと自転車をこいでゆくのだった。

 

そのおにいさんは、皆から「変なおにいさん」と呼ばれていた。

 

校舎につくと、そのおにいさんは一心不乱に落ち葉を掃いていた。落ち葉がない、ただの砂のとこまで全力で掃くもんだから、そのへんの子供たちに砂がザッザッとかかって、逃げられていた。赤らんだ顔、無造作に伸びた髪、青いジャージからむき出しのくるぶし、やせぎすの身体、身体と同じくらい大きい竹ぼうき。ときどき聞き取れないなにかを一人で喋りながらおにいさんはただせつせつと落ち葉を掃いていた。それは本当に毎朝のことだった。

 

おにいさんは知的障害があるようだったけど、まだ小さいわたしたちにはそれがあまりよくわからなかった。大人の体をしているのに奇妙な振る舞いをするそのおにいさんのことが素直に不思議で、みんな無邪気に「変なおにいさん」と呼んだのだった。落ち葉を掃く痩せたうしろ姿に、高学年の子たちがからかいの言葉をかけているのを何度か見た。

 

おにいさんは小学校の卒業生で、毎朝落ち葉を掃きに来るのを楽しみにしていて、学校側もそれを黙認しているようだった。変なおにいさんは、わたしの小学校生活の一部だった。

 

あるとき、わたしはなぜか体育館のそばの暗い廊下にいた。体育館では、自治会の催しかなにかが行われていて、それを見るのが退屈で抜け出していたのだと思う。廊下で掲示物を読んだり、しゃがんだり、壁にあたまをコツコツとぶつけたりして、時間をやり過ごしていると、ワックスがけされた床にひょろひょろとした人影がうつって、顔を上げると例の変なおにいさんがいた。

 

逆光に包まれて、何か聞き取れないことをしゃべりながらおにいさんはにじり寄ってきた。ズリ、ズリと竹ぼうきを引きずりながらこちらに来るおにいさんの顔は目がとても細くて、笑ってるんだか怒り狂ってるんだかわからなかった。いつも目にしている落ち葉を掃いている姿、ヘロヘロと自転車をこぐ姿とは違う、「おにいさんそのもの」が強烈に迫ってくるのだった。日常の一部でもなんでもなかった。

 

わたしはなぜか心臓はグンとつかまれたような恐怖を感じて、息ができなかった。

 

恐怖に震えるわたしに、おにいさんはズイッと手のひらを差し出した。

 

そこには札束が載っていた。

 

「欲しいか?欲しいか?」

 

わたしはヒッと息を飲んで後ずさりした。怖くて頭がおかしくなりそうだった。

 

するとおにいさんが、札束の真ん中をぴっぴっと指さした。

そこには赤い字で「玩具」と書かれていた。

 

しばらくきょとんとして眺めた。おにいさんはちょっとしたイタズラというかたちで、不器用なコミュニケーションをはかろうとしただけだったのだとやっとわかった。

 

するとなんだか一気に安心して、身体中をあたたかい血がめぐりだすようで、そうなると今度ははじけるように大笑いしてしまうのだった。「なんだぁ、おもちゃじゃん!!」と言うと、またその言葉で笑えてきて、おなかの痙攣がとまらなくて笑い声がもっと大きくなってしまう。

 

おにいさんも、心底うれしそうだった。ケラケラと笑うわたしに、ずっと一つ覚えみたいに「欲しいか?欲しいか?」と聞きつづけて笑った。糸みたいに細い目がもっと細くなって、顔は赤みを増していた。

 

笑い声がこだました。

 

それからもおにいさんは毎日落ち葉を掃いていた。あのときの札束のことは、なかったかのように毎日せつせつと掃いていた。わたしもとくに交流をはかろうともせず、ただほうきをしょった自転車のうしろ姿を眺めたり、横を通って砂をかけられたりした。

 

ある朝、おにいさんがいなかった。全校集会が開かれた。

 

「皆さんもよく知っている、毎朝お掃除に来てくれていた○○くんが亡くなりました。黙祷しましょう。」

 

校長先生はそう告げた。

 

おにいさんは、勤め先の工場で機械に挟み込まれて死んでしまった。即死だったらしい。

 

おにいさんが死んだという事実の告げられ方も、とってつけたような黙祷も、あまりにあっけなかった。わたしも何も考えずに黙祷し、「死んだんだ…」と思った。不思議と悲しくなかった。

 

その後も、毎日変わらず養老乃瀧のまえを通り、校庭を抜け、固い木の椅子にじっと座って授業を聞くだけの毎日が淡々と流れていった。周りのみんなは毎日掃除に来ていた変なおにいさんのことを少しも話題にしなかったし、わたしもとくに何も思い出すこともなく過ごした。

 

あるとき、校庭でつむじ風に落ち葉が舞っているのをじっと見ていた。そのとき、それは来た。おなかのあたりに、ズンと暗いものが落ちてきた。「思い出した」という感じで、暗いものが落ちてきた。

 

おにいさんはもういない。

 

ただその事実だけがそこにあって、もうそれ以外はなにもないのだった。あのときニセの札束を見せてくれて二人で笑ったことも、今となってはわたしが覚えているだけで、わたしが忘れてしまえば全部なくなってしまう。おにいさんがいたことすらみんな忘れはじめているし、いた痕跡だってもうほとんどない。ただ落ち葉がそこには舞っているだけで、そのことがどうしようもなく悲しかった。

 

その悲しさは、「おにいさんが死んだ」ということだけに向けられたものではなかったかもしれない。これからいろいろな人とすれ違っていくけど、その誰もが「さよなら」を言えないままいなくなってしまうであろうということ。死んでしまうと、ぽっかり穴みたいなものが空いて、時間がたつとその穴すらなくなってしまうということ。もっと途方もないこと。

 

だとすればあの瞬間は本当にかけがえなかった。

 

なんだか一枚の写真のようなイメージが見える。ニセの札束を持ったおにいさんと、座り込んで大笑いするわたしが真上からとらえられている。それはくすんだ色で、時間がたつとだんだん薄く見えづらくなっていく。

 

いつまでこのことを覚えていられるだろうか。あのおにいさんがいなくなった穴がなくなるのは、わたしの記憶がなくなったときかもしれない。

 

そんなことを考えながらお風呂に入っていたら、間違ってシャンプーを二回もしてしまった。「シャンプーもったいないな」と思ったわたしには、自由に使えるお札がもういくばくもない。