ニートにハーブティーは要らない

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飼い猫への愛をタトゥーにしかねない女

健斗♡彩花 Forever love……

 

そう書いたピンクの絵馬を、江の島の小高い丘につるすだけならまだしも、若気の至りでタトゥーをいれてしまうひとがいる。Yusuke Forever…… そう彫ったあと、ほどなくして別れ、失笑を買ってしまうひともいる。

 

そういうことをする気持ちが長らくわからなかったのだけど、最近「ちょっとわかるかもな」と思ってしまうようになった。

 

感情は水のようにカタチを変え、身体は砂の城のように朽ちていく。終りのないランニングマシーンを永遠に走り続けるように視界は移ろいゆき、何も確かなものがない。せめて、今感じているこの強い気持ちを、この、いずれ滅んでいく身体に刻み付けて、忘れないように、なくならないように。

 

その切実さ、美しさ。

 

大学で「刺青」をテーマに卒論を書こうとしている友達がいて、その話を聞くうちにこんなことを考えるようになった。

 

わたしにとって、永遠に身体に刻み付けたいものってなんだろう。部活の帰り道に友達とコーラを買って、のどを反らして空を見上げながら飲んだら信じられないほど長いゲップが出て、腹がちぎれるくらい笑ったあの夏?母が昔つくってくれた、嘘みたいに美味しいブッシュ・ド・ノエル?彼氏と尻をしばき合いながら走った薬局までの道?どれもかけがえないけれど、タトゥーにするにはあまりにきりがない。しかも限定的、断片的過ぎてタトゥーにしていいものか。もっと自分の根幹をなすような、強い気持ちはないだろうか。

 

こんなことを聞かれて困ってしまったことがある。「あなたが長い間続けていることは何ですか?」わたしには本当にそれが思いつかなかった。そしていよいよワケわからなくなり、「いやー、特にないですけど、猫はずっと好きですね」と答えてしまい、「(笑)」みたいな雰囲気になった。「わたし会話通じないやつだな」と自分でも思った。しかし、こんなにズレた答えはないが、真実ではあった。

 

わたしにとってはYusuke ForeverがCat Foreverだったのである。

 

実家にはマー君というアメリカンショートヘアがいる。ほんとうは八万八千円なのに、母が父に「八万円だった」と微妙なうそをついて買った猫である。

 

こいつがダサい猫で、食べ物とみれば恥ずかしげもなく飛びつき、盗っ人の様相となる。小さな毛玉のようなときから、魚の切り身を口からはみ出させながら逃走し、家の中はコント仕立てとなった。なぜかときどき人間のようなオナラもするし、枕に頭をのせて寝る。もちろん太っていて、真っ白でふわふわなおなかは床にくっつきそうである。小鳥を怖がって窓の中から威嚇するような小心者で、犬にはすっかり屈服して自分の飲み物を奪われても反撃しない。

 

でも気持ちのやさしいところがあって、家の中で弱っている人間がいると、そっとそばにいって添い寝をする。人間はマー君に枕を奪われて、襟元をよだれでびちょびちょにされるのだけど、「こいつめ笑」と思っているうちに元気になってしまう。子供の頃、親と喧嘩して自分の部屋で泣いていると、ドッドッと人間と同じくらい大きな足音が近づいてきて、ドアの隙間からマー君が入ってきて寝床に滑り込んでくる。そのときの丸くてオレンジの気持ち。その気持ちはつぎ足されすぎて元がよくわからなくなっている秘伝のタレみたいな感じでわたしをつくっている。

 

自分なんて断片的なもののあつまりで、他者のパッチワークだと言ってのけることもできるけど、何か一貫したものがあっても良くて、それがそのときの丸いオレンジの気持ち、というかマー君への愛、マー君からの愛である。

 

そんなマー君が次で12歳になるらしくて、かなりショックを受けてしまった。「おまえ、死ぬなよ」と思う。マー君が死んだら、わたしちょっとタトゥー彫っちゃいそう。大好きな焼き魚とチキンと一緒に彫ってやろう。