ニートにハーブティーは要らない

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夕暮れバスの老女に羨望し、雑踏の中の少女にエールを送る

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時は夕暮れ。

 

タカシマヤの食品売り場の紙袋を大事そうに抱えた老女がバスのステップをゆっくりと上がってくる。「どうもね」と言いながらパスケースを運転手にかざし、運転手の「あゃゃっす」という礼を軽くいなしながら席を探し、ゆっくりと優先席に腰をおろして噛みしめるように目を閉じる。

 

「わたしはあなたになりたい。」

 

そう言ってその老女に歩み寄りたかった。明日のことなどどうでもよくて、ただデパ地下の惣菜を買って多幸感に満ちたオレンジ色のバスの中で穏やかに目を閉じられるその老女に、ゆくゆくは自分がなれたらと強く思った。たぶんその席は、とても少ない。ふるいにかけられて最後に何粒か残ったグラニュー糖である。

 

我々ヒューマンは非凡に憧れる青臭い日々を経て、年をとるごとに都合よく平凡な幸せを求めるようになる。そして幼いころに退屈だと思っていた種類の幸せが、実はとても実現困難なものであることに気づかされる。わたしも小さい頃は名探偵になりたかったし、今でも時々景気の良いときはあり得ない妄想をして楽しんだりすることがある。それにも関わらずこの老女への激しい羨望。まぶたを閉じて開くまでの間におそらくわたしはものすごい勢いで老いることだと思うが、まぶたを開けたときにその老女になっていたらどんなにいいだろう。

 

駅前には発狂している人がたくさんいる。目の前にどんぶりを置いて一日中うつむいて暮らす人もいる。まぶたを開けたときに彼らになっていない保障はどこにもいない。狂人を見て怖いと思うのは、自分の中にもそうなりうる部分があるからだ。貧しい人を見たときに何とも言えない気持ちになるのも、自分とて貧しさと隣り合わせだからだ。わたしは一瞬で過ぎ去る人生の中で、どういう風に年を重ねていくのか全く想像がつかない。この宙ぶらりんの不安がたまに押し寄せてきて、そういうときは妄想を楽しむことなどできず、ただ夕暮れバスの老女に羨望を向けるのみである。

 

わたしが一瞬で過ぎ去るかもしれない残りの人生に思いを馳せている一方で、駅の雑踏の中で小さな少女はとても長い時間を生きている。

 

お母さんはその少女の弟のクリームパンみたいな手を大事そうに引く一方で、後ろでとろとろ歩く少女にはきつい声を飛ばす。目は三白眼になり、鷲のような手で髪をひっぱって少女を引きずるようにして近くに来させる。弟が甘い声でジュースをねだる。少女の太いゴムで雑に束ねられた髪が元気なく揺れる。

 

彼女がわたしの年まで生きるその長さを思うと、本当に気が遠くなる。お母さんだってそのときたまたまそんな感じだっただけかもしれないが、それにしてもあの少女はすでに疲れていた。祝福された子供でないという思い込みのなかで、目くるめく濃厚な日々を乗り越えて、大人の年齢まで生きるというのはあまりに大変なことだ。

 

小学校の六年間なんて、永遠に感じた。ちょっとしたことで死の危険を感じたし、いろんな人から違うことを言われて頭がおかしくなりそうだった。幼稚園のときにわけもわからず万引きしてしまった記憶から、いつ親に警察に連れていかれるかビクビクしていた。小学校で物を盗む子がひどくいじめられているのを見て、胸がつぶれそうになった。視野が狭い分、感情も感覚も濃かった。雲はやたらゆっくりと流れたし、鉄棒は血の味がした。閉鎖的な田舎の中学校で、薄暗い廊下の蛇口から一定のリズムで水滴が落ちるのを見ながら、「わたしは一生ここにいるんじゃないだろうか」という身体を焼くような焦りを感じた。どうしても学校から途中で帰りたくなって、友達と一緒にトイレの窓から脱出を図った。窓の桟に登ったところで厳しい先生が外を歩いているのを見つけ、慌ててトイレの内側に転落し、トイレットペーパーをカラカラする金具で太ももとお尻の間を深めに切った。血が流れ、友達は爆笑しながらやはりトイレットペーパーで止血をした。わたしたちのプリズンブレイクはそれきりだったが、今でも尻のあたりを触ると傷跡が盛り上がっているのがわかる。触ると懐かしくて泣きたいような笑いたいような気分になる。

 

子供の頃は長くて重い時間の流れのなかで、いつも逃げたくてしょうがなかった。だから、疲れた様子の少女がいるとつい肩入れしてしまうというか、エゴイスティックな同情をしてしまう。卒論でニーチェについて少し調べたんだけど、ニーチェはあれほど「同情」というものを嫌いながら、広場で鞭打たれる馬の首に縋りついて号泣し、そのまま発狂してしまったらしい。わたしは雑踏の中の疲れた少女に縋り付いて泣き叫ばないように気を付けなくてはならない。

 

生きづらさなどをアピールする人々は「頑張っているのに頑張れとか言うな」と言うけれど、わたしはあの疲れた感じの少女に視線でエールを送り心の中で「頑張れ」と言うしかない。まさかあんな小さい子に「人生はつらいから頑張らずにドロップアウトしろ」とは言えない。「わたしもだめだめで、老女に都合よく羨望するなどしているけど、時間の重圧に負けずに生きていきましょう。」と脳内に語り掛ける。

 

さあ、ハチマキしめていきましょう。どんなクソババアになれるか楽しみなもんです。