ニートにハーブティーは要らない

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おもしろい死に方について

 

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 古畑任三郎の父は、タヒチを旅行中にヤシの実が頭に直撃して死亡したという。

 

 わたしは子供の頃にそれを知り、その死に方に激しく憧れた。実の父の頓狂な死を淡々と語る古畑も、ひどくかっこよく思えた。

 

「ヤシの実を頭に直撃させて死ぬ」

 

 それは、わたしにとって一つの目標となった。

 それまで、わたしにとって「死」とは、薬品や尿のすえた匂いが漂う病室で、似たような顔の親族に取り囲まれて目を閉じているイメージだった。見たことのあるのはひいおばあちゃんの死だけだった。しとしとと涙を流す喪服の人々と、大きなお棺。黒光りする霊きゅう車。火葬。骨を箸でつまむしきたり。湿度の高い空気の中で、粛々と執り行われる死の儀。

 

 それに対し、古畑の父の死は、湿り気のあるあらゆる文化から遠く離れて、あっけらかんとしている。それがなんともいえずかっこいいと思った。死というのがそういうものなら、なんとなく怖くないような気もしたし、何より、おもしろい。古畑だって、「ヤシの実を頭に直撃させて」の死でなかったら、わざわざ他人に話したりしなかっただろう。古畑の父の死に方は、はっきり言っておもしろいし、話のネタになる。わたしだって、どうせ死ぬなら話のネタになりたい。「死んでもわたしのことを忘れないでほしい」という願いを持って、鮮烈でドラマティックな死を選ぶ人がいる。たしかに、死んでなお誰かの記憶に残りたいという願望はわたしにもある。ただ、切ない、ドラマティックな記憶を残すくらいなら、「なんかおもしろい死に方だったな」というかたちで思い出されたいのである。

 

 こういう話を、中学生のころに友達のみのりちゃんに話した。みのりちゃんは、そのときわたしが一番仲良くしていた女の子だ。身体の線が細くてしなやかで、さらさらの髪がきれいで、左右の目が非対称なのが、妙に色っぽかった。そして、ときどきぎょっとするくらい残酷なジョークを言うことがあって、そういうところが好きだった。

 

 みのりちゃんは鼻を鳴らして笑い、同意してくれた。たしかに、おもしろい死に方っていいよ、と。そして、アメリカかどこかの国で、笑いすぎて死んだおじさんがいることを教えてくれた。そのおじさんは夕方、お気に入りのTVショーを見ているときに、笑いのツボに入って止まらなくなり、おしっこを漏らしながら大爆笑し、呼吸困難に陥って死んだのだという。みのりちゃんは想像でそのおじさんの物真似をした。

 

「ハハハハッ!!!!!!!マイガ!ハハハッハハハハ!!!!!!!………ハァ~~…ハッ…ハッ…ハハ…ハハハハハハハハハハハッッ!!!!!!!!!!!!…」

 

 迫真だったので、みのりちゃんまで死んでしまうのではないかと思った。みのりちゃんはクールできれいな人だったけど、こういうふうにふざけるときの様子があまりに真剣すぎて狂気じみているときがあって、わたしはときどき胸がざわざわした。

 

 わたしは大学から東京に出て、みのりちゃんともあまり会わなくなった。みのりちゃんが「ジョイトイちゃんはたぶんおもしろい死に方するよ」と言ってくれたことをときどき思い出しながら今日も元気に生きている。