ニートにハーブティーは要らない

ニートにハーブティーは要らない

思ったことを書いています

∞畳ボロアパート

 ボロアパートを見ると立ち止まってしまう。ベランダに干されたキャラクターのタオルケットや、出しっぱなしのサンダル、駐輪場で倒れている錆び付いた自転車。

 

 明確な記憶はないけど、わたしもかつてボロアパートの中の人だった。

 子どもの頃に母の車に乗っていたとき、古ぼけたアパートの前で急に車がゆっくりになった。「あんたが2歳まで住んでた家」と言うのだった。

 すすけた箱のようなアパートだった。全体の壁はトップスのチョコレートケーキのような色をしていて、その上に濃い茶色の平たい屋根がかぶせてある。外壁にはところどころ滲んだ血のように、赤茶けたサビが模様を作っている。屋根にはでかでかとアパートの名前が強いゴシック体で書いてあるが、最初の文字のところが半分朽ちていた。

 

 それからときどき母は、ボロアパートで暮らしていた頃の話を聞かせてくれるようになった。わたしはそれを聞くのが好きだった。だいたい母や親戚の女たちがテープレコーダーのように何度も語って聞かせる話というのは、スパイス程度に脚色されていて、妖しい魅力があるものである。

 

 それは、ボロアパートを舞台にしたせせこましい口承文学だった。

 

 そもそもの始まりは、家探しを父に任せたためだった。山育ちの父にとって、間取りが広い、家賃が安くて効率よくお金を貯められる、近所に図書館もスーパーも公園もあるというそのアパートは完全無欠の物件だった。新婚の母は「ここに住むぞ!」と意気込む父に、(ここに住むんだ……)と思ったらしい。

 そこからボロアパートでの暮らしが始まり、わたしの兄が生まれて家族は3人になり、わたしが生まれて4人になった。

 

 母にとってボロアパートの暮らしは思いのほか幸せだったという。父を送り出したあとは編み物やお菓子作りをして、子供たちを連れて公園に行き、疲れたら川の字で昼寝をした。子供たちはちょっと異常なほど大人しく、いわゆるイヤイヤ期がほとんどなかった。昼間はひんぱんに母の祖母、つまりわたしの曾お婆ちゃんが茶を飲みに来た。帰るときはなぜか決まって「これで三枚肉でも買え」というセリフとともにお札を握らせたという。

 若かりし頃の母に思いがけず早く訪れた人生のアイドルタイム、平日昼間のボロアパートの静けさが心地よかった。しかし平和なだけの昔話というのはつまらない。母の語るボロアパート話には不穏な風が吹く。

 

 父と二人でボロアパートに住み始めた頃、隣の部屋には長身痩躯の男が住んでいた。何度かすれ違ったときは、笑顔で挨拶をしてくれた。糸のように目が細い、感じのいい青年だったという。

 ある夜布団に寝ていると、妙な音が聞こえた。その音に母だけが気づいて起き上がり、薄い扉に耳をあててみると、隣の男が電話越しに誰かをどやしつける声だった。

「ふざんけんじゃねえ!!!てめーはよぉ!!!!!!」という怒鳴り声ともに、アパートの鉄骨階段をガンガン蹴るすさまじい音が立て続けに鳴った。それでも仕事で疲れた父はぐっすりと眠っていた。しばらくして音は止んだが、母は怖くて眠れなかった

 その話を後日、家に訪れた友人に話した。

「やっぱり、おかしいと思ったのよ。こんなボロアパートに黒塗りのベンツが停まってるんだもの」と友人は言った。その横で父は「まあ堅気の人には優しいものだからああいう人たちは」と知ったようなことを言った。

 それからほどなくしてヤクザの青年はアパートを出ていった。

 

 ヤクザが去ってなお、ボロアパートにはほのかな陰りがあった。

 昼間に母が家事をしていると、鼻先をふいっと線香の香りがかすめた。香りの筋をたどるようにして確かめても、部屋で線香を焚いているわけでもなく、気のせいかしらと一人納得してやり過ごした。

 ある日、それまで気にしたこともなかった、トイレにある小さな曇りガラスの窓が目に留まった。固く閉ざされた窓を開けると、すぐそばに墓地が広がっていた。表玄関と逆方向で、生活圏と反対側だったから気づかなかったのだろう。

「なんだ、こんなに近くに墓地があるならこの前の線香の香りも…」と納得しかけて、しかしあの日は窓を閉めていたことを思い出した。目に見えぬ来訪者があったのかもしれぬ、と思ううちに長男、わたしの兄が生まれた。

 彼はぐずりもせず、おとなしかった。が、しかし、ベビーベッドから何もない天井の隅を見つめて「キャッキャッ」とはしゃいだ。母は、息子が楽しそうなので良しとした。

 続いて長女、わたしが生まれた。彼女は首がすわるのが異様に早く、離乳食を食べる時期にあっても、柔らかい食べものが嫌いで固形物ばかり食べたがった。おじさんのような涅槃のポーズで、いつもテレビのCMばかり見ていたという。

 一時期、兄と母の間で使う、合言葉のようなものがあった。

「●●だと思いま?」と母が言うと、兄が「すー!」と応えるというものである。いつものように、母が「おやつ食べたいと思いまー?」と問いかけたところ、兄が応えようとしたその前に、遮るように響く声があった。

 

「ず」

 

 声変わりを終えた少年よりはるかに低い、地を這うような声。その発生元はどう考えても、ベビーベッドに寝そべる1歳を過ぎたばかりの娘だった。そのとき、空間が大きく揺れるような感じがしたという。

 この話を聞く度に、そのときのわたしには何らかの無害なおじさんの霊が憑依していたのではないかと思う。

 

 こういっためくるめくボロアパート小話を聞く度に、わたしの中には少しずつ空間のイメージが蓄積されていった。当時の写真を何枚か見せてもらっても、それぞれがうまく繋がらず、バラバラのまま脳内に漂っている。ふわふわとしてどこまでも終わりのない、それなのに狭苦しい。知っているのに知らない。そんな不思議な場所として、わたしの脳内にボロアパート空間がどんどん膨らんでいった。

 

 そして何度も夢に出るようになった。わたしが生きているもう一つの世界、それをどうやら結構な割合でボロアパートが占めているようだった。

 

 夢に出るたびに、ボロアパートの様子はいつも異なっている。タイル張りのキッチンに薄暗いダイニング、引き戸を隔てたリビングというスタンダードなボロアパートのときもあれば、公民館の2階にあるようなだだっ広い和室のときもある。それなのに夢の中のわたしは毎度毎度「ここはあのボロアパートだ」とはっきり感じるのだった。

 そこでのわたしの姿も、大人だったり、子どもだったりさまざまだ。

 

 あるときは子どものわたしが、広い和室のボロアパートにたった一人放たれていた。ごろごろと転がっていると、畳の四隅が碁石ぐらいの大きさの白い留め具で押さえられていることに気が付いた。触ってみるといとも簡単にぽろっと取れ、何となく口に運んでみると、それは白いマーブルチョコだった。嬉しくなったわたしは、素早く這いずり回り、部屋中のマーブルチョコを食ってやろうとした。しかし食えば食うほど、終わりがない。ボロアパートは膨張し続けていて、マーブルチョコも増え続ける。

 最近ではさすがにそんな夢は見なくなった。代わりに、わたしもいっぱしに悩み事を抱えるようになり、その乱れた精神状態がボロアパートの夢にも反映されるようになりつつある。部屋の中に、人生の色々な局面で関わった人たちがいっせいに現れ、「言ってることとやってることが違うじゃん!」「いつまでにやってくれるんですか」など言葉を浴びせてくる。互いを知らないはずの人同士が、ひそひそと顔を突き合わせて笑っている。そんなときはせめてボロアパートが広ければいいのに、みちみちと狭い。わたしも赤ん坊だったらいいのに、むくむくと育った大人の姿である。

 

 わたしはきっとこれからもボロアパートの夢を見る。そして脳内には、意識せずとも色々なボロアパート空間が蓄積していくだろう。

 さしずめわたしは宇宙の缶詰ならぬ、ボロアパートの缶詰。

 ボロアパートにいた小さなわたしが大人になるにつれて何度も夢を見て、脳内のボロアパート空間はどんどん膨らんでいき、その中には行き場を失ったいくつものわたしが大量に彷徨い、その夢の中のわたしの脳内にもボロアパート空間が存在する。

 

 そうしてボロアパートの入れ子構造は綿々と気が遠くなるほど続いている。

 今わたしはどこにいるのだろう。