ニートにハーブティーは要らない

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スピッツが嫌い

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 何気なく向田邦子の短編を読み返していたら、主人公の女が「嫌いなもの」を列挙している箇所があった。

 クイズ番組、花柄の電気製品、小指の爪を伸ばした男、豪傑笑いをする男などを挙げている中に「スピッツが嫌い」という言葉が踊っていた。(まあ、わたしも正直スピッツそんなに聴かないかな……。でも嫌いっていうほどでも……)と思いかけたところで笑ってしまった。


 向田邦子の死没は1981年。
 スピッツのメジャーデビューは1991年。

 向田邦子の言うスピッツは犬のことだった。
それだけスピッツというバンドはすごい。単語本来の意味を忘れさせるほどにはすごい。しかし、意味するところがあの白くてふわふわした犬だとわかればなお興味深い。

 その主人公の女は向田邦子自身をモデルにしているとも言われている。そしてここで挙げているものも、自身のエッセイで嫌いと公言していたものと幾つかかぶっている。例えば「豪傑笑いをする男」なんかもそうだ。向田邦子はその理由から三島由紀夫のことが嫌いだったようだ。

 そうなると、スピッツも嫌いだったのだろうか。そう思うと俄然ゾクゾクする。エッセイにはそれらしきことは書いていない。唯一、「草津の犬」という小話に出てくる、ヒュッテで供される豚汁に入ってる固い豚肉を人間からもらおうとする犬に対して、やや眼差しが冷ややかなくらいだ。

 わたしは、ふつうに良識のある人(少なくとも人間・動物問わず自分以外の生き物を下等とみなし虐待することに悦びを覚えるような性癖を持っていない)が、ある特定の動物ヘの悪口をこぼすのを聞くのが好きだ。

 単なる愛玩の対象としてではなく、それなりに個VS個としてぶつかってみようとした真剣みが伝わるからだ。人間はいったん動物を愛玩の対象として覚えてからは、猫や犬がはしゃぎまわる動画などを見れば条件反射的に「カワイー」と言ってしまうようになりがち。「いとしい、いとしい」とかわいがることは、その対象をかなりあなどっていないと出来ないことだ。

 でも本当に幼かった頃などは、犬猫鳥狸その他動物のことをよくわからんが種の違うライバルという感じで認識していた気がする。道路で子供などが気が狂ったように野良猫を追いかけ、猫は余裕綽々で跳躍しながら逃げているのを見た日には、(お、やってんねぇ)と楽しくなる。そのとき、風が強く吹いてたり雷鳴が轟いてたりなんかするともっと最高だ。

 大人になっても動物への対等ゆえの憎たらしさを抱く人は結構いる。が、あまりそれを表立って話す人はいない。わざわざ動物への悪口を公表したところで得はないからだ。

 向田邦子がもし本当にスピッツを嫌いだったとしたら、どういうふうに嫌いになったのだろう。他に犬種は数あれど、なぜスピッツ

 ちなみにバンドのスピッツの由来は、「弱いくせによく吠える犬ってパンクっぽい」かららしい。なるほど、そうですか。