日本の夏、狂っている夏
夏が来る。
ビールのCMのような夏はどこにあるんだろうと毎年思う。
何やら屋上の特等席みたいなところできゅうりやらスイカやらビールが冷えてて、誰かが「こっちこっちー!」って手招きしてる後ろで花火がドーンみたいな夏。
泡が星みたいに弾けるジョッキの背後で、何にも遮られない大輪の花火がわーっと広がっている。虫もいたずらにこちらに向かってくるでもなく涼やかな音色を聴かせてくれる。
でもあれはCMだから、スーパーで同じビールを買っても家の照明の下でビビビと音をさせながら特にありがたみもなく飲むだけ。窓を開けて夜風を楽しむも、網戸に羽虫がくっついているのを見つけてヒッと叫んでピシャッと閉める。そのうちに、ビールはぬるくなって缶は汗をかいている。これがふつうの夏だ。
あのビールのCMに出てくるやばい夏は、結局のところ、狂ってしまった人の中にあるのだと勝手に思う。金麦に出てた檀れいのテンションをふと思い出す。
夏は狂う。たくさんの人が狂う。
わたしには正直、この風習も夏に狂わされた人が作ってしまったんだと思える。これにご先祖のスピリットが乗ってやってくるという設定があるそうだ。きゅうりは足の速い馬を、なすは歩きの遅い牛に見立てていて、「きゅうり馬で早く来て、なす牛でゆっくり帰ってってくれ~」という願いが込められているらしい。発案した人には何か深刻な幻覚症状が現れていたのだと思う。
一時的に狂って発案したことを、周りの人間がいっせいに実践し始めて内心焦ったのではないだろうか。わたしも幼稚園の頃、友だちが砂場で拾ってきた乳歯(たぶん犬歯で尖っていた)を見て、出来心で「これは鬼の歯」と言ったら、後日「鬼の歯探し」のイベントが発生してかなり焦った記憶がある。これも確か暑い日のことだった。以来、「嘘つきは泥棒のはじまり」という言葉などを聞くと動悸がする。
夏の暑さに浮かされて、狂ったことを言うものではない。何か変な発明をしてしまおうものなら、遠い未来の人間にもうっかり受け継がれてしまう可能性があるということを忘れてはならない。