ニートにハーブティーは要らない

スピッツが嫌い

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 何気なく向田邦子の短編を読み返していたら、主人公の女が「嫌いなもの」を列挙している箇所があった。

 クイズ番組、花柄の電気製品、小指の爪を伸ばした男、豪傑笑いをする男などを挙げている中に「スピッツが嫌い」という言葉が踊っていた。(まあ、わたしも正直スピッツそんなに聴かないかな……。でも嫌いっていうほどでも……)と思いかけたところで笑ってしまった。


 向田邦子の死没は1981年。
 スピッツのメジャーデビューは1991年。

 向田邦子の言うスピッツは犬のことだった。
それだけスピッツというバンドはすごい。単語本来の意味を忘れさせるほどにはすごい。しかし、意味するところがあの白くてふわふわした犬だとわかればなお興味深い。

 その主人公の女は向田邦子自身をモデルにしているとも言われている。そしてここで挙げているものも、自身のエッセイで嫌いと公言していたものと幾つかかぶっている。例えば「豪傑笑いをする男」なんかもそうだ。向田邦子はその理由から三島由紀夫のことが嫌いだったようだ。

 そうなると、スピッツも嫌いだったのだろうか。そう思うと俄然ゾクゾクする。エッセイにはそれらしきことは書いていない。唯一、「草津の犬」という小話に出てくる、ヒュッテで供される豚汁に入ってる固い豚肉を人間からもらおうとする犬に対して、やや眼差しが冷ややかなくらいだ。

 わたしは、ふつうに良識のある人(少なくとも人間・動物問わず自分以外の生き物を下等とみなし虐待することに悦びを覚えるような性癖を持っていない)が、ある特定の動物ヘの悪口をこぼすのを聞くのが好きだ。

 単なる愛玩の対象としてではなく、それなりに個VS個としてぶつかってみようとした真剣みが伝わるからだ。人間はいったん動物を愛玩の対象として覚えてからは、猫や犬がはしゃぎまわる動画などを見れば条件反射的に「カワイー」と言ってしまうようになりがち。「いとしい、いとしい」とかわいがることは、その対象をかなりあなどっていないと出来ないことだ。

 でも本当に幼かった頃などは、犬猫鳥狸その他動物のことをよくわからんが種の違うライバルという感じで認識していた気がする。道路で子供などが気が狂ったように野良猫を追いかけ、猫は余裕綽々で跳躍しながら逃げているのを見た日には、(お、やってんねぇ)と楽しくなる。そのとき、風が強く吹いてたり雷鳴が轟いてたりなんかするともっと最高だ。

 大人になっても動物への対等ゆえの憎たらしさを抱く人は結構いる。が、あまりそれを表立って話す人はいない。わざわざ動物への悪口を公表したところで得はないからだ。

 向田邦子がもし本当にスピッツを嫌いだったとしたら、どういうふうに嫌いになったのだろう。他に犬種は数あれど、なぜスピッツ

 ちなみにバンドのスピッツの由来は、「弱いくせによく吠える犬ってパンクっぽい」かららしい。なるほど、そうですか。

∞畳ボロアパート

 ボロアパートを見ると立ち止まってしまう。ベランダに干されたキャラクターのタオルケットや、出しっぱなしのサンダル、駐輪場で倒れている錆び付いた自転車。

 

 明確な記憶はないけど、わたしもかつてボロアパートの中の人だった。

 子どもの頃に母の車に乗っていたとき、古ぼけたアパートの前で急に車がゆっくりになった。「あんたが2歳まで住んでた家」と言うのだった。

 すすけた箱のようなアパートだった。全体の壁はトップスのチョコレートケーキのような色をしていて、その上に濃い茶色の平たい屋根がかぶせてある。外壁にはところどころ滲んだ血のように、赤茶けたサビが模様を作っている。屋根にはでかでかとアパートの名前が強いゴシック体で書いてあるが、最初の文字のところが半分朽ちていた。

 

 それからときどき母は、ボロアパートで暮らしていた頃の話を聞かせてくれるようになった。わたしはそれを聞くのが好きだった。だいたい母や親戚の女たちがテープレコーダーのように何度も語って聞かせる話というのは、スパイス程度に脚色されていて、妖しい魅力があるものである。

 

 それは、ボロアパートを舞台にしたせせこましい口承文学だった。

 

 そもそもの始まりは、家探しを父に任せたためだった。山育ちの父にとって、間取りが広い、家賃が安くて効率よくお金を貯められる、近所に図書館もスーパーも公園もあるというそのアパートは完全無欠の物件だった。新婚の母は「ここに住むぞ!」と意気込む父に、(ここに住むんだ……)と思ったらしい。

 そこからボロアパートでの暮らしが始まり、わたしの兄が生まれて家族は3人になり、わたしが生まれて4人になった。

 

 母にとってボロアパートの暮らしは思いのほか幸せだったという。父を送り出したあとは編み物やお菓子作りをして、子供たちを連れて公園に行き、疲れたら川の字で昼寝をした。子供たちはちょっと異常なほど大人しく、いわゆるイヤイヤ期がほとんどなかった。昼間はひんぱんに母の祖母、つまりわたしの曾お婆ちゃんが茶を飲みに来た。帰るときはなぜか決まって「これで三枚肉でも買え」というセリフとともにお札を握らせたという。

 若かりし頃の母に思いがけず早く訪れた人生のアイドルタイム、平日昼間のボロアパートの静けさが心地よかった。しかし平和なだけの昔話というのはつまらない。母の語るボロアパート話には不穏な風が吹く。

 

 父と二人でボロアパートに住み始めた頃、隣の部屋には長身痩躯の男が住んでいた。何度かすれ違ったときは、笑顔で挨拶をしてくれた。糸のように目が細い、感じのいい青年だったという。

 ある夜布団に寝ていると、妙な音が聞こえた。その音に母だけが気づいて起き上がり、薄い扉に耳をあててみると、隣の男が電話越しに誰かをどやしつける声だった。

「ふざんけんじゃねえ!!!てめーはよぉ!!!!!!」という怒鳴り声ともに、アパートの鉄骨階段をガンガン蹴るすさまじい音が立て続けに鳴った。それでも仕事で疲れた父はぐっすりと眠っていた。しばらくして音は止んだが、母は怖くて眠れなかった

 その話を後日、家に訪れた友人に話した。

「やっぱり、おかしいと思ったのよ。こんなボロアパートに黒塗りのベンツが停まってるんだもの」と友人は言った。その横で父は「まあ堅気の人には優しいものだからああいう人たちは」と知ったようなことを言った。

 それからほどなくしてヤクザの青年はアパートを出ていった。

 

 ヤクザが去ってなお、ボロアパートにはほのかな陰りがあった。

 昼間に母が家事をしていると、鼻先をふいっと線香の香りがかすめた。香りの筋をたどるようにして確かめても、部屋で線香を焚いているわけでもなく、気のせいかしらと一人納得してやり過ごした。

 ある日、それまで気にしたこともなかった、トイレにある小さな曇りガラスの窓が目に留まった。固く閉ざされた窓を開けると、すぐそばに墓地が広がっていた。表玄関と逆方向で、生活圏と反対側だったから気づかなかったのだろう。

「なんだ、こんなに近くに墓地があるならこの前の線香の香りも…」と納得しかけて、しかしあの日は窓を閉めていたことを思い出した。目に見えぬ来訪者があったのかもしれぬ、と思ううちに長男、わたしの兄が生まれた。

 彼はぐずりもせず、おとなしかった。が、しかし、ベビーベッドから何もない天井の隅を見つめて「キャッキャッ」とはしゃいだ。母は、息子が楽しそうなので良しとした。

 続いて長女、わたしが生まれた。彼女は首がすわるのが異様に早く、離乳食を食べる時期にあっても、柔らかい食べものが嫌いで固形物ばかり食べたがった。おじさんのような涅槃のポーズで、いつもテレビのCMばかり見ていたという。

 一時期、兄と母の間で使う、合言葉のようなものがあった。

「●●だと思いま?」と母が言うと、兄が「すー!」と応えるというものである。いつものように、母が「おやつ食べたいと思いまー?」と問いかけたところ、兄が応えようとしたその前に、遮るように響く声があった。

 

「ず」

 

 声変わりを終えた少年よりはるかに低い、地を這うような声。その発生元はどう考えても、ベビーベッドに寝そべる1歳を過ぎたばかりの娘だった。そのとき、空間が大きく揺れるような感じがしたという。

 この話を聞く度に、そのときのわたしには何らかの無害なおじさんの霊が憑依していたのではないかと思う。

 

 こういっためくるめくボロアパート小話を聞く度に、わたしの中には少しずつ空間のイメージが蓄積されていった。当時の写真を何枚か見せてもらっても、それぞれがうまく繋がらず、バラバラのまま脳内に漂っている。ふわふわとしてどこまでも終わりのない、それなのに狭苦しい。知っているのに知らない。そんな不思議な場所として、わたしの脳内にボロアパート空間がどんどん膨らんでいった。

 

 そして何度も夢に出るようになった。わたしが生きているもう一つの世界、それをどうやら結構な割合でボロアパートが占めているようだった。

 

 夢に出るたびに、ボロアパートの様子はいつも異なっている。タイル張りのキッチンに薄暗いダイニング、引き戸を隔てたリビングというスタンダードなボロアパートのときもあれば、公民館の2階にあるようなだだっ広い和室のときもある。それなのに夢の中のわたしは毎度毎度「ここはあのボロアパートだ」とはっきり感じるのだった。

 そこでのわたしの姿も、大人だったり、子どもだったりさまざまだ。

 

 あるときは子どものわたしが、広い和室のボロアパートにたった一人放たれていた。ごろごろと転がっていると、畳の四隅が碁石ぐらいの大きさの白い留め具で押さえられていることに気が付いた。触ってみるといとも簡単にぽろっと取れ、何となく口に運んでみると、それは白いマーブルチョコだった。嬉しくなったわたしは、素早く這いずり回り、部屋中のマーブルチョコを食ってやろうとした。しかし食えば食うほど、終わりがない。ボロアパートは膨張し続けていて、マーブルチョコも増え続ける。

 最近ではさすがにそんな夢は見なくなった。代わりに、わたしもいっぱしに悩み事を抱えるようになり、その乱れた精神状態がボロアパートの夢にも反映されるようになりつつある。部屋の中に、人生の色々な局面で関わった人たちがいっせいに現れ、「言ってることとやってることが違うじゃん!」「いつまでにやってくれるんですか」など言葉を浴びせてくる。互いを知らないはずの人同士が、ひそひそと顔を突き合わせて笑っている。そんなときはせめてボロアパートが広ければいいのに、みちみちと狭い。わたしも赤ん坊だったらいいのに、むくむくと育った大人の姿である。

 

 わたしはきっとこれからもボロアパートの夢を見る。そして脳内には、意識せずとも色々なボロアパート空間が蓄積していくだろう。

 さしずめわたしは宇宙の缶詰ならぬ、ボロアパートの缶詰。

 ボロアパートにいた小さなわたしが大人になるにつれて何度も夢を見て、脳内のボロアパート空間はどんどん膨らんでいき、その中には行き場を失ったいくつものわたしが大量に彷徨い、その夢の中のわたしの脳内にもボロアパート空間が存在する。

 

 そうしてボロアパートの入れ子構造は綿々と気が遠くなるほど続いている。

 今わたしはどこにいるのだろう。

 

 

 

たとえばキウイフルーツをクレソンで和えるようなこと

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 他人がごくごく日常的にやっている、思いも寄らない食材の組み合わせを知るのが好きだ。

 好きな料理系youtuberは、夏のおみそ汁にすだちの輪切りをたくさん浮かべていた。そして椎茸とアボカドをお醤油で香ばしくソテーしていた。こういう自分では思いつかない組み合わせを知るとき、心底楽しくなる。スーパーに行こう、と思う。

 ベッドのそばに、サイドテーブル代わりに小さな棚を置いていて、そこには料理の本が入っている。それはわたしなりに、斬新な食材の組み合わせを教えてくれる本をきちんとセレクトしている。これらを枕元から手の届く位置に置いているのは、寝る前に読むから。なるべくあかるい気持ちで眠りに入るためのささやかな工夫である。

 なかでも思い入れが深いのはこんな本。

『伝言レシピ』シリーズ(3冊ある)
https://www.amazon.co.jp/dp/4838716664/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_mj83Db2BK1EWR
 好きだったクウネルの連載がまとまった本。フードスタイリストの高橋みどりさんが周囲の食い道楽な人に伝言で教えてもらった、「おそらく自分しかやってないだろう」というレシピの数々。
 フライパンにトマトの輪切りを並べて火を入れて、その上に卵を落として半熟に仕上げる「ウエボスフラメンカ」なる料理。熱々のジュワジュワのところに粗い塩をふって、ガリガリのフランスパンにのせて食べるとおいしい。
 あとはすりおろしたにんじんと、にんにく、ヨーグルトと塩で鶏もも肉を煮込む「ヨーグルトチキン」。材料はシンプルなのに、本格インド料理みたいな複雑なうま味。
 ほかにも梅干しとオリーブオイルを使う「切り干し大根のマリネ」や、椎茸と植物性クリームでつくる「椎茸クリームパスタ」、ほぼ豆もやしとコチュジャンだけの「豆もやしごはん」など思い出深い。シリーズ3作、存分にわくわくさせてくれた。

『バーの主人がこっそり教える味なつまみ』
https://www.amazon.co.jp/dp/4388060577/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_8j83DbBEEGYRG
 家でお酒を飲むときは、人に気を遣わなくていいので攻めたおつまみを食べたい。まず「味なつまみ」という表現がすでにご機嫌だ。しかもこっそり教えてくれるのだ、攻めたやつを。
 びっくりしたのは「カレー粉バナナ」なるものだ。バターを溶かしたフライパンで、バナナをきび糖でカリッとソテーしてカレー粉をふる。洋酒を散らして完成。この本を書いた間口さんという人の店はハイボールが絶品らしい。銀座にあるが気取らない空間だというその店を想像しながら、自分で作ったへたなハイボールと一緒に小さなフォークで食べる。あまからスパイシー、金色の味がする。
 あと気に入ったのは、キウイフルーツにクレソンを添えるだけのサラダ。ほろ苦いクレソンと酸っぱいキウイ。しょっぱい、甘い、以外の選択肢を得ると人は豊かになる。

 こんな本を読み、自分でいろいろ試しながら楽しく暮らしている。

 ところで、最近知り合った人に「甘い具のないカレーにタバスコをドバドバかけて食べるの、たまに無性にやりたくなるんです」と言ったら「最高ですね」と言ってくれてとてもうれしかった。本当はもっと教えたい組み合わせはたくさんある。スーパーで売ってる安くて変な色のペラペラのビアソーセージでザク切りしたパクチーを巻いて、レモン汁たっぷり付けて、ホワイトビールで流し込むのなかなかいいよ。逆に言えば、他の人がやってる食べ方飲み方をもっと教えて欲しい。

 人から聞いた食材の組み合わせを試してみることは他人の生きた時間を飲み込むことでもあるのかなと思う。だから試してみておいしかったときに、あんなにうれしいのかも。

 今日も、食べものを脳内で泳がせながら幸せな眠りにつくことにします。

サイゼリヤでひとりでワインを飲むぐらいのことがあってもよい

 

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https://www.saizeriya.co.jp/

 会社の帰りにひとりでサイゼリヤに寄る。

  街の雑踏の中を歩きながら、緑色の看板を見つけたときからわたしはなんだかぼんやりしてしまって、目が空洞になっていく感覚を抱く。あらゆる視覚情報が空洞になった目を風のように通り抜けて行って、頭の中身はこれから行くサイゼリヤの空間で満たされていく。

 ビルの階段を上って重いガラス戸を押せば、薄暗い暖色系の店内照明も、大きなレプリカの絵画も、あか抜けないようすの家具類もすべてが思い描いたサイゼリヤの空間だ。入口のすぐそばに、壁がコの字形に凹んだなんともいえないスペースがあって、そこでたいてい2組くらい待っている。学校帰りの女子高生や、あえてサイゼリヤで飲んでみますかといった風情のサラリーマン二人組が楽しそうに「サイゼリヤなんてけっこう久しぶりだね」などと言っているそばで、ひとり順番を待つのも今では平気になった。なめらかな動作で自分の名字をリストに記入したあとは、やはり空洞の目のまま頭の中をサイゼリヤで満たしていくだけだ。

「オヒトリ様お待ちの」と呼ばれ、店員に伴われて店の奥まで歩いていく。サイゼリヤは思った以上に広いことが多い。熱海とか、どこかの島にあるようなさびれたトリックアート美術館くらいの広さがあるのではないかと思う。

「こちらメニュデス。お水あちらドゾ」

 揚げパンのような腕をした中国人の店員に、おざなりに席につかせられる感じがいい。そう、水は自分で取るスタイルだ。ここで豆知識だけど、ドリンクバーのジュースコーナーにある無糖の炭酸水も、水同様に飲んでいいことになっているらしい。

 

 ところで、ファミレスのメニューがわたしは大好きだ。

 なにもかもがポップでチープでワンダフル。サイゼリヤも例にもれない。嘘みたいな照りの肉や、ビタミンカラーの野菜や、踊る粉チーズや、強靭な堤防のようなプリンがあの手この手で気を引こうとしてくる。メニューに並ぶ嘘の料理に誘惑されるいま、カラフルなおもちゃがあれば手当たり次第口に運んだ幼少期を思い出す。

 それから、「ミルキーななんちゃらモッツァレラ」だとか「おつまみにぴったり!」とか、いちいち入る茶々のようなコピーがいい。わたしも仕事で、短くてさして意味をなさないようなコピーをただの隙間埋めのために考えなくてはいけないときがある。「あなたの考えたコピー、ちゃんと読んでますよ」とメニュー作った人に言いたい。

 こうやってメニューを眺めること自体がわたしの娯楽であるから、注文するまでに時間がかかる。しかし頼むものは大体決まっている。アラビアータか、アンチョビのピザか、たらこソースのシシリー風、ほうれん草のグラタン、チキンのディアボラソース、柔らか青豆の温サラダ。そして赤か白の250ミリのデキャンタワイン。

 満を持してアラビア―タを注文すれば、デキャンタワインがすぐに出て来る。

 チープなレディを23年間やっている女として言わせてほしい。デキャンタは、250ミリがいい。500ミリでは大きすぎる。250ミリがいい。500ミリを飲むと酔ってしまうからという問題ではないのだ。250ミリのデキャンタには、ついさっきまで花でも飾っていましたという風情がある。窓辺に飾っておきましょうか、という気分にもなる。そのくらいの大きさであり、佇まいなのだ。わたしとしては、そう思う。

 去年あたり、サイゼリヤのグラスはプラスチック製になった。これによりサイゼリヤでの晩酌における哀愁は、またひとつ深みを増した。赤ワインを自分で注いでグラスのふちを歯にあてると、コツリと間抜けな音がする。こういうときに「もっといいところで晩酌できるようになるぞ~」と思えればいいんだろうけど、サイゼリヤにもこのプラスチックのグラスもどきにもすっかり慣れすぎてしまった。プラスティック、ラヴ。

 アラビアータが届いたころには、デキャンタの三分の二がなくなっていた。湯気をたてるパスタに取り掛かるわたしの横で、ミートドリアを食べていた女性がデキャンタの250の白を追加注文した。こういうふうに自分とまったく似たような感じで飲んでいる人を見ると、ちょっとうれしくなる。どういう感情かというと、(お、やってんねェ!)という感情だ。

 釣りを趣味にしている父も同じような気持ちなのかもなと思う。うちの父は夏に鮎釣りに行くのを慣習として、行きつけの川がある。そこで毎年出くわす同じような年恰好の中年男がいて、そいつが先に川に入って釣っているのを見るたびに父は心の中で(あいつ、またやってんな)と思うらしい。そして完全にお互いの釣果を意識しあいながら、日が暮れるまで川につかって釣り竿をたらすのだ。

 何年も同じ場所で同じことをしているのに、お互い話しかけもせずに、心のなかで微妙な仲間意識をもつ。そんな人間関係ってあるよなと考えながら、アラビアータの塩気でワインをぐびぐび飲み干し、再びメニューを開いた。

おもしろい死に方について

 

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https://www.nihon-eiga.com/osusume/furuhata/

 古畑任三郎の父は、タヒチを旅行中にヤシの実が頭に直撃して死亡したという。

 

 わたしは子供の頃にそれを知り、その死に方に激しく憧れた。実の父の頓狂な死を淡々と語る古畑も、ひどくかっこよく思えた。

 

「ヤシの実を頭に直撃させて死ぬ」

 

 それは、わたしにとって一つの目標となった。

 それまで、わたしにとって「死」とは、薬品や尿のすえた匂いが漂う病室で、似たような顔の親族に取り囲まれて目を閉じているイメージだった。見たことのあるのはひいおばあちゃんの死だけだった。しとしとと涙を流す喪服の人々と、大きなお棺。黒光りする霊きゅう車。火葬。骨を箸でつまむしきたり。湿度の高い空気の中で、粛々と執り行われる死の儀。

 

 それに対し、古畑の父の死は、湿り気のあるあらゆる文化から遠く離れて、あっけらかんとしている。それがなんともいえずかっこいいと思った。死というのがそういうものなら、なんとなく怖くないような気もしたし、何より、おもしろい。古畑だって、「ヤシの実を頭に直撃させて」の死でなかったら、わざわざ他人に話したりしなかっただろう。古畑の父の死に方は、はっきり言っておもしろいし、話のネタになる。わたしだって、どうせ死ぬなら話のネタになりたい。「死んでもわたしのことを忘れないでほしい」という願いを持って、鮮烈でドラマティックな死を選ぶ人がいる。たしかに、死んでなお誰かの記憶に残りたいという願望はわたしにもある。ただ、切ない、ドラマティックな記憶を残すくらいなら、「なんかおもしろい死に方だったな」というかたちで思い出されたいのである。

 

 こういう話を、中学生のころに友達のみのりちゃんに話した。みのりちゃんは、そのときわたしが一番仲良くしていた女の子だ。身体の線が細くてしなやかで、さらさらの髪がきれいで、左右の目が非対称なのが、妙に色っぽかった。そして、ときどきぎょっとするくらい残酷なジョークを言うことがあって、そういうところが好きだった。

 

 みのりちゃんは鼻を鳴らして笑い、同意してくれた。たしかに、おもしろい死に方っていいよ、と。そして、アメリカかどこかの国で、笑いすぎて死んだおじさんがいることを教えてくれた。そのおじさんは夕方、お気に入りのTVショーを見ているときに、笑いのツボに入って止まらなくなり、おしっこを漏らしながら大爆笑し、呼吸困難に陥って死んだのだという。みのりちゃんは想像でそのおじさんの物真似をした。

 

「ハハハハッ!!!!!!!マイガ!ハハハッハハハハ!!!!!!!………ハァ~~…ハッ…ハッ…ハハ…ハハハハハハハハハハハッッ!!!!!!!!!!!!…」

 

 迫真だったので、みのりちゃんまで死んでしまうのではないかと思った。みのりちゃんはクールできれいな人だったけど、こういうふうにふざけるときの様子があまりに真剣すぎて狂気じみているときがあって、わたしはときどき胸がざわざわした。

 

 わたしは大学から東京に出て、みのりちゃんともあまり会わなくなった。みのりちゃんが「ジョイトイちゃんはたぶんおもしろい死に方するよ」と言ってくれたことをときどき思い出しながら今日も元気に生きている。

 

 

暮らしのいびつ

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 生活するには、ちょっとしたコツが要る。自分だけにしかわからない、小さな小さなコツである。

 

 最近新しいアパートに引っ越した。この部屋で暮らすためのコツを、やっと身体が覚えはじめた。部屋は新しいのに、エアコンは古い。リモコンは褪せたクリーム色になっていて、入/消ボタンは樹液のようなものでべとついている。無造作にエアコンに向けてピッとやっても無反応である。コツとしては、エアコンの真下に立って垂直にリモコンをたてながら、ボタンを長押しすること1,2,3秒。(…チャッカ)という音がなって、エアコンが開き、風が吹く。要は接続がわるい。

 

 引っ越して間もないころは、外れくじをひかされたような気がして、長押している間に舌打ちがこぼれそうになった。でも、こういう暮らしのいびつな部分こそ、あとで懐かしくなるのである。

 

 前に住んでいた部屋は、キッチンと部屋の間の敷居がやたら高かった。朝、寝ぼけてつまづいて、キッチンの方へスライディングしながら痛さのあまり泣き、引っ越してやると思ったことが何回かある。それでもやはり学習する動物であるので、足をこころもち高く上げ、惨事を回避する癖がついた。

 

 いま、新しい部屋に引っ越して、わたしを転ばせるような敷居なんてどこにもないのに、部屋をまたぐときに足をほんの少し高く上げようとする意識を身体の奥の方に感じる。階段の段がもうないのに、まだあると思って足を高く上げ下したときの、なんともいえないふわっとした脱力感。あれの15分の1くらいの感覚がたしかにある。そういうとき、「住んでいたな…もう住めないんだな…」としみじみ思う。

 

 こういう、暮らしのいびつな部分。部屋の構造だとか、エアコンの古さだけが作り出すものではないと思う。暮らしを共にする人や動物やモノや音楽や食べ物。それらはレギュラーメンバー然として、「いつもの暮らし」を形成している。そのレギュラーメンバーにはちょっとした扱いづらさがあったりする。そういうところを飲み込んで暮らしていくために、自分の在り方はほんの少し変化させられる。

 

 毎日毎日、同じような暮らしをしているつもりでもレギュラーメンバーは確実に新陳代謝していく。我々はサザエさんではないのだから。愛想つかして捨てたり、捨てられたり、自然になくなってしまったり、泣く泣く離れたり。でも身体というものはすぐに変わるものではなくて、もういない「誰か」や「何か」と共にしていた暮らしのいびつに、引き続き対応しようとする。

 

 昔実家で、ラブという黒い犬を飼っていた。ラブラドールレトリーバーだからラブ。父にばかりなつく雌の犬で、ラブラドールレトリーバー界隈にあってなかなかの美人。目鼻立ちもよく、足もすらりと華奢で、外を歩けば雌犬が歯茎をむき出して吠え、雄犬はこぞって求愛した。

 

 ラブはよく笑う犬だった。犬を飼ったことのある人ならわかるかもしれないけど、犬というのは笑うのである。ハッハッと息する口元は、口角が高く上がって、目もらんらんと輝いて、「楽しッスね!」と言っているようにしか見えない。父と散歩に出かけるときは、決まってその顔をした。

 

 そしてラブは踊る犬でもあった。わたしの母はよく、リビングでカズダンスとタコ踊りを足して2で割ったような、奇怪体操をする。わたしもそのフロアに交じり、真顔で手をなめらかに前後に動かしながら、足はカズダンスをするキモいダンスに興じる。田舎の一軒家の床はみしみしと音を立てる。その様子をテーブルの下のラブは、ビー玉のような目でじっと見ていた。ラブは生まれつき身体が弱く、10歳を越えてからはてんかんの症状が頻繁に出るようになったので、家の中で飼っていたのだ。

 

 ラブはむくっと起き上がり、わたしたちの間に腰を振りながら入って来た。馬のいななきのような笑い声をあげる母と、真顔でキモいダンスを続けるわたしの間に入って、ラブはお尻を振り、足踏みのような動きをリズミカルにした。ときどきわたしたちを見上げる顔は、例の「楽しッスね!」の顔だった。あのときのラブを、わたしは忘れられない。ちょっと意地悪で嫌な犬だと思っていたこともあったけど、そのときにラブは本当にかわいかった。

 

 老後のラブは病気になり、足腰も立たなくなってしまった。あれほど好きだった父との散歩にも、楽しそうな笑い顔を見せなくなった。リビングの床にはラブの紙トイレが敷き詰められた。父が出張でいなくなった1週間のうちに、みるみる衰弱してドッグフードを食べられなくなり、注射器のようなもので栄養を与えなくてはいけなくなった。そして、父が帰ってくると、待ちわびていたかのように、父のひざ元で水を飲みながら動かなくなった。

 

 かつて、母がやるラブへのお決まりの朝の挨拶があった。ラブに向かって、ダンディー坂野のゲッツのようなポーズを取り、「OH!! LOVE!!」と叫ぶのである。ラブがいなくなってしばらくたった朝、母はひとりでおそらくなんとはなしに「OH!! LOVE…」とひとりごちた。本当にぽろりと口をついて出た、という感じだった。そしてまた「なんか悲しいね」と一人でつぶやいて、馬のいななきのようなヒヒーという空音を出して泣きそうな顔をした。

 

 わたしは父と母が仕事に行ったあと、最後に家を出て学校に行っていた。支度をあわただしくすませて、玄関に向かうとき、足がなんだか奇妙な感じがした。ありもしないラブのおしっこシートを避けるように、足裏の外側寄りだけをつかってふわふわ歩もうとしてしまうのである。ラブがまだ病気で生きていたとき、おしっこシートだらけの家から学校に行くのが、思春期のわたしには実は少し嫌だった。でもこうして身体の記憶としてのみ残った、ラブのおしっこシートを避ける感覚に、なんともいえないこみ上げるものがあった。母の悲しい馬のいななきがわかるような気がした。

 

ラブは愛すべきいびつだった。

魔の1週間とひねり揚げ

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 わたしには魔の1週間が存在する。それは、“あのこと”ではない。“あのこと”が訪れるまえの1週間のことだ。なにも伏せなくてもいいじゃないかと憤る人もいるかと思うが、伏せるのも勝手だ。とにかく、“あのこと”のまえは酷い。いろんなことが不安になり、焦ったり、急にやる気が出たり、キレたり忙しい。一言でいえば


「あたしが、あたしじゃないみたいなの」


 これに尽きる。わたしをあたしにしようが、あなたにはどうでもいいかもしれない。しかし、魔の1週間にあるわたしにとってはそういうディティールひとつひとつが、発狂せんばかりに大事なのだ。「あたしが、あたしじゃないみたいなの」と心を許した友達に言うと、彼女はプッと吹き出して、でもふと真顔になって「まあわからんでもないけど」と言うだろう。そういうわかってくれる相手は、魔の1週間にあるわたしの格好の餌食となるだろう。わたしはやおら立ち上がり、彼女の肩を両手でつかみ、息をすうっと吸い込んで


「ねえ、あんなにビルに灯りがともってる。あの光のひとつひとつの中で人間がうごいて働いてるの。ついこないだは栃の実をすりつぶして変な餅を作りながら暮らしてたのよ。信じられる?何かの間違いで人間が生まれて、こうして脈々と暮らしてきた。地球にはたくさんごみが埋まってる。キューブ型に固められたあれらを、あなたも社会科見学で見たでしょう。バカな男子が臭いって騒いで。ああ、なんか思い出していろいろムカついてきた。そんなことはもうどうでもいい。とにかく、人間がこうして社会を形成して、一人一人がほんとうにちっぽけに生きていることが、なんだか嘘のことみたい。そう思わない?無印良品週間で何買った?わたしね、それはもう、ハンガーをたくさん買ったの。ハンガーは二個以上で15パーセントオフだった。笑っちゃったわよ、レジで。お買い得ってなんであんなにうれしいのかしら。ところで、無印って最近行き詰まってるらしいの。銀座の旗艦店に一緒に行ったでしょ?とくに目新しい魅せ方がないって、レジの後ろに並んでたべちゃべちゃしたおじさんが吐き捨てるように言ってた。そのおじさん、バウムクーヘンをたった1本持って立ってたの。おかしい、そう、おかしいでしょ?お菓子1個ぽっちり持って突っ立ってるのって、とんでもなくおもしろい有様よ。わたしもそうなるとちょっと恥ずかしいもん。ところで昔コンビニでバイトしてたんだけど、夜の9:45くらいに来てずーっと店内を徘徊してるおじさんがいたの。まずはシェービングクリームを見てたわ。次に雑誌。アダルトと一般の間のきわきわのところに立って、表紙だけを眺めてるの。そしてたまにガラスに映る自分を見る。そのあとは自然に飲料コーナーに足が向かって、パンコーナーでしょ、コーヒーとかお茶のコーナー、チルドのコーナー。1時間以上かけて、コンビニの全てをあの人は見たわ。ほんとうにそれは全てだった。そして彼がThis is it.とばかりにレジに持ってきたの、何だったと思う?  ひねり揚げよ。もうね、そりゃおかしいのよ。おかしいの。でもそれって彼のベストアンサーだったから。お菓子たった1個。ひねり揚げ。それが彼の見つけた全て。たしかにあれは量も多いし安い。うるち米に油の染みこんだ、ちょっと口の中の天井の皮が剥けそうな固いやつ。おいしいの。わたしは笑っちゃいけなかった。真顔を保ちながら、震える声で金額を告げたわ。わたしと彼は少額の硬貨をやり取りしたわ。それっきりよ。あのときかしら、真顔で笑う癖がついたのは。


ねえ、とても不安よ……………………」


 言いおわる頃には彼女は消えている。
 わたしはひねり揚げを握りしめてひとりぼっちで立っている。

ハムをつまみ食いするときの焦りについて

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 夜中、どうにも小腹が減ってキッチンまで這っていき、冷蔵庫を空ける。暗闇に浮かぶスペースコロニーみたいな光の中に、ハムを発見。明日、サンドイッチにしようと思っていたそれを迷いなく開封し、1枚をべろりと食べる。ハム独特の水あめの甘さと、かどのとれた塩気。冷たく、つるりとした食感。「あと1枚なら」と思いながら、乱暴に袋のビニールをべりべり広げる。ハムをもう1枚剥がそうとする。なかなか剥がれない。気がはやる。ああもう、と思いながら袋のビニールをますます大きく広げる。ここでふと、「なんでわたしこんなに焦ってるんだろう」と思う。


 ハムの記憶は子供の頃に遡る。


 夏のお中元に、暮れの元気なご挨拶。それらとともに、スペシャルなハムの塊が家にやってくる。母は少しもったいぶって、冷蔵庫の中の出し入れしづらいところにその薄ピンクの肉塊を入れる。「これはうまいやつだから」という位置にハムは置かれ、わたしはその存在を気にしていないふりをしつつものすごく気にしている。ハムが仕舞われる一部始終を、心の目でじっとりと見つめる。


 母が買い物に出かけたとき、わたしのすることはたった一つ。冷蔵庫に忍び寄り、薄ピンクの肉塊を取り出す。食べたことがわかりづらいように、ナイフで薄くそぐ。母が帰って来まいかとはらはらしながら、むっちりとした繊維質のハムをかじる。もう1枚、と思いながらまた薄くそぐ。そのうち母の車の帰ってくる音がして、もうハムを仕舞わなきゃいけないのに、もっと食べたくてナイフを動かしてしまう。焦りがハムの旨味を加速させる。玄関先で母がごそごそやる音が聞こえて、汗が出てくる。いつかのCMで天海祐希か誰かが、キッチンでハムを切って食べて「これこれ♪」なんて言ってた気がするが、そんな生やさしいものじゃない。もうやめなきゃいけないのに、全身がハムを欲望している。それでもギリギリのところで冷静になり、お粗末にハムを包んで冷蔵庫に戻し、流し台に脂がべっとりとついたナイフを置く。


「おかえり」
「ただいま」


 母はわたしのしたことなどすぐわかる。
小さくなったハムを見て、あれあれなどと言いながら夜ご飯の支度をはじめる。あれほど焦ったのに、ハムをつまみ食いするのは大した罪ではないのだった。


 それにしても、朝食にそれがちんけなハムステーキとして出たときの興醒め感ったらない。椅子に座って行儀よく噛みちぎるハムは、キッチンに突っ立って、焦りに駆られながらも強い欲望に動かされてむさぼり食うハムのうまさには勝てない。


 いまだにハムをつまみ食いするときに焦ってしまうのは、ハムを堪能しようとする無意識の工夫なのかもしれない。焦れば焦るほど、ハムはうまい。それは疑いようがない。


 サンドイッチ用のハムは残らなかった。