ニートにハーブティーは要らない

ニートにハーブティーは要らない

ニートじゃなくてすみません

テトリスに狂った男、父

この世でいちばん暇な人が誰だか、皆さんご存じだろうか。それは、今この地球のどこかでテトリスに興じている人である。


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テトリスとは

いわゆる「落ち物パズルゲーム」の元祖。「上から落ちてくる『4個の正方形で構成された7種類の多角形ブロック』(テトリミノ tetrimino)を操作して、埋まった横列のみが消えるのを利用してテニス(tennis)のラリーのようにひたすら消し続けていく」という単純明快なルールと直観的な面白さで世界規模で大ヒットした。

https://dic.nicovideo.jp/t/a/テトリス

 

4個の正方形からできた4種類のブロックを操作して横列を消していく簡単なお仕事。たいていこれをやる人間というのは、何かを先延ばしにしているか、本気で暇かのどちらかである。

 

寝そべって、ポテトチップスサワークリームオニオン味などを食べながらべとつく手でテトリスに興じている人間がいたら、そういう人間こそ「生産性」で槍玉にあげられるべきだろう。

 

かくいうわたしもついこの間、なぜかうっかりテトリスをインストールしすっかり狂ってしまった。空き時間があれば手が勝手にテトリスを開き、色とりどりのブロックを捌きはじめる。上の方にどんどんブロックが詰まってきて、にっちもさっちもいかなくなると悔しい思いがこみ上げて脳に血がたぎるようで、もう一度やってしまう。なにかやるべきことがあったような気がしても、やめられない。なんだかテトリスのことばかり考えてしまう。テトリスに肉の芽を埋め込まれたかのように。(わたしこれ好きですね)

 

しかし、テトリスをぶっ続けで数時間やってしまい外が暗くなっていたとき、やっと「これはマズい」と感じ、断腸の思いでアンインストールしたのがおとといのことである。テトリスに支配されていた頃のわたしが今は遠く感じる。

 

しかしわたしがテトリス郷に支配されてしまったのは、必然ともいえることだった。それはもともと組み込まれていた「血の宿命」であった。

 

そう、わたしの父こそテトリスを愛しテトリスに狂わされたその人であったのだ。

https://marple-hana1026.hatenablog.com/entry/2018/10/05/父という名の野性

 

このブログにもすでに登場している父であるが、ざっくりどんな人物かを説明しておくと、ずば抜けて無口で野性味にあふれ、何を考えてるんだかあまりよくわからない歯のないお父さんである。仕事は専門的な知識が要る情報インフラ系のことをしていて、なかなか出来るみたいだけど、家にいるときは本当に暇そうである。趣味は夏に鮎釣りをするくらい。家族ともそれほど喋らない。最近は猫に猫なで声で話しかけるなどの変化が見られるようになったが、やはり基本的に無口で暇そうにしていることに変わりは無い。

 

その父が家で見いだした生粋の余暇がテトリスであった。


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まだ携帯がこんなやつだったとき、最初に入っている唯一のゲームがテトリスだった。父はいつも、眉をしかめた「結婚は認めん」顔でひたすらテトリスに興じていた。

 

夜ご飯を食べ終わったらテトリス。コーヒーを飲んでテトリス。風呂から上がってテトリス

 

テトリス特有のあの音楽が休みなく流れた。

 

ある日わたしも暇で、父がテトリスをやっているのを横から覗き込んでいた。母もやってきて反対側から覗き込んでいた。この世でいちばん暇な家族である。

 

父は本当に熟練の動きでテトリスを捌いていた。甲子園いけるくらいの練習量なのだからあたりまえである。ボタンはテトリスによって摩耗されつつあって、決定キーは押すたびにキュッキュッと軋む音がした。だんだんテトリスのテーマ、コロベイニキが速くなっていく。父の指もいよいよ俊敏の高みに登っていく。生唾を飲んで見守るのは、テトリスに興じる男によって生活を守られている主婦とその子供。リビングは緊迫していた。

 

そのとき、それは起こった。

 

ビーン!という音がしたかと思うと決定キーがビヨーンと飛びだしバネがむき出しになった。あまりにテトリスに酷使され、ボタンが限界だったのだ。

 

それまで父の動きに従っていたブロックが制御不能になり、めちゃくちゃに落ち始めた。ストーンストーンとひたすら落ち始めた。

 

父が「ええいクソ!!!!!」と叫んで携帯を投げた。打ちつけられた携帯からはまだテトリスの音楽が流れていた。

 

この一連のことが数秒間で起こった。

 

わたしと母は、テトリスに狂い携帯をぶっ壊した男を唖然として眺めた。

 

それ以来、父がテトリスをやるのを見たことがない。今はスマホ大谷翔平選手について調べるのが生きがいのようである。

 

時代は変わった。

テトリス狂いはわたしに世代交代してしまぅた。

あなたはほうじ茶でアガれるか? おばさん群像劇『滝を見にいく』

「あんただっておばさんになるのよ」

 

 背中にぴしゃりと投げつけられた言葉を払いのけ、「なるもんですか」と思いながらずんずんと生きていくうちに、少女たちは瞬く間におばさんになっていく。「かわいいおばあちゃんになりた~い♡」と言う少女はいても、「ええかんじのおばさんになりてえ」とつぶやく少女はあまりいない。「わたしたちっておばさんだよね~」などと言っているアラサーのお姉さん方も実は自分のことを本気でおばさんだとは思っていない。彼女たちはどこかで「おばさん」はフィクションだと思っている。

 

 いつも「ほどの良いおばさん」として日々働いたり、近所づきあいをしたりしているわたしの母。

 しかしそれでも彼女は言う。

 

「心がね、追いつかないのよ。おばさんなのに」

「気持ちだけはいつでも若いつもりだからさ」

 

 そう、ハートの部分はたぶんあんまり変わらない。ちょっとシミができたり、首のところにざらつくイボができたり、傷の治りが遅くなったりするだけである。心が追い付かないのに、まあなんとなくおばさん然とした振る舞いが妥当なんだろうと思いながらおばさんというフィクションを演じるうちにおばさんとして円熟していく。昔もっていた鮮烈な思いとか、傷つきやすさとかそういう繊細な感情は、ほんのちょっとだけ心に隠しておきながら。みんなそういうおばさんに見まもられてきたのだ。

 

 おばさん然としながら、心にひっそりと少女を飼う。

 

 わたしはやっぱりそうなりたい。感受性が豊かすぎるままでは、とても80年も生きては行けない。何より心が不安定だと他人にやさしくできない。少しずつ心の感度を下げていって、ちょっとガサツでもやさしくおおらかなおばさんになりたい。でもどこかに繊細な部分も残しておいて、自意識過剰で傷つきやすい若者にも共感できるようでありたい。たまに自分の甘酸っぱいところをひっそりと取り出しておきたい。

 

 そういうおばさんになるためにひとつ必要なのは、たのしむ技術である。というより、「勝手にたのしむ技術」である。

 

 他人に自分の価値を求めるでもない、「何か楽しいイベントはないか」と騒ぐのでもない。ひとりで勝手に日々のことをたのしんで、心をうるおしている。気が沈むことがあっても、そういう日々の小さな楽しみで心を修復させて、やっぱりおばさんとして振る舞って他人を少し安心させる。

 

 そういう技術を盗めるのがこの映画『滝を見にいく』である。


映画『滝を見にいく』沖田修一監督による予告編

 

 前置きが長すぎますでしょう?しかもなんか話がつながっているんだかいないんだかよくわからないでしょう?きっとこれはわたしがおばさんになっても変わることがないのでしょう。

 

滝を見にいく

滝を見にいく

 

 

 この映画、簡単に説明するとおばさん7人が「紅葉を見て、滝に感激し、その後は秘湯で至福の時を過ごす」という内容のバスツアーに参加したはずが、業者の不手際により山中で迷い、一晩みんなでいっしょに野宿することになるという内容。

 

 ほんとうにこれだけ。7人のおばさんそれぞれのデティールがしっかり描かれていて、濃密なおばさんあるあるが楽しめる。

 

ameblo.jp

 この方のブログ、おばさん7人をしっかり講評していてよかった。

 

  • 腰に爆弾を抱えたクワマン(桑田さん)
  • クワマンと仲良しでオペラを嗜むクミ(田丸さん)
  • 山野草マニアで写真展への作品を出すために山に来たサバイバルスキルの高い師匠(花沢さん)
  • 師匠をリスペクトし山のルールに従う弟子のスミス(三角さん)
  • ぼんやりとした主婦のジュンジュン(根岸さん)
  • 夫に先立たれながらも彼に影響されて始めたバードウォッチングを続けているセッキ―(関本さん)
  • 昔水商売をやっていた感じのするユーミン(谷さん)

 

 この7人のおばさんが夜中に火を起こしてキャンプファイヤーをしたり、食料をゆるく探したり、なぜか少しだけはっちゃけて縄跳びをしたりするのをひたすら真顔で見る1時間半。一夜にしてけっこう衰弱するおばさんたち。

 

 これだけ聞いていると「観て楽しいのか?」と思うはずである。

 

 しかしなぜか楽しいのである。おばさん一人ひとりに愛を込めて描いているのがよくわかる。中途半端なズボンの丈感とか、サンバイザーとか、バスの中でなんかいろいろ食べているとことか、そういう「おばさん」然とした細かな描写が楽しい。おばさんのガサツな部分、下世話な部分、たくましい部分、もろい部分、憎めない部分、少女みたいな部分。さまざまなデティールが、笑いを誘ったり、切なくさせたり。

 

 いくつか大好きなシーンがある。

 

 セッキ―が山の中で夢を見て、枯れ野原の中に死んだ夫を見つけて「行かないでぇー!」と叫んで目が覚めるシーン。野原のなかをヨタヨタと走るセッキ―。消えていく夫の影。一緒にバードウォッチングを楽しんだ、最愛の夫。先にいなくなってしまった夫。セッキ―は悲しみを抱えながら、それでも呑気な感じのおばさんとして日常を続けていくんだと思うと切なくいとおしい気持ちになる。バードウォッチングを楽しんで自分の心をうるおしながら、悲しみをだましだましで生きていく。セッキ―に幸あれ。

 

 あとクワマンユーミンが山で迷子になったイライラからお互い攻撃的になって大喧嘩に発展し、結局夜中に一緒にヤニを吸うことで仲直りするシーン。二人の大人げない感じがとても人間らしくていい。(バイト先とかにいたら嫌だけど。)二人とも年季の入った吸いっぷりで、これまでの人生遍歴をうかがわせる。「一回ブチキレ合って、また仲直り」って、なかなか大人になってから経験できることではないと思う。一服がもたらした、交わらないおばさんどうしの人生を繋ぐかけがえのないひととき。

 

 最後に一番好きなシーン。

 かなり序盤、まだ山中で迷う前、クミが水筒を取り出しツレのクワマンと一緒に飲むシーン。

 

クワマン「それ(水筒)なに入ってんの」

クミ「ほうじ茶(クチャクチャと何か食べながら)」

 

クワマン「ナァ―イス(低音)」

 

 

 いかがだろうか。このシーンの味わいは実際に見てほしい。

 

 ふつう、人の水筒の中身がほうじ茶だったぐらいで「ナァ―イス」と言えるだろうか。アガれるだろうか。なんでもない水筒の中身のお茶にもちょっとした「差異」を見出し、たのしむ。これこそ、「勝手にたのしむ技術」の真骨頂ではないだろうか。

 

 大好きなエレファントカシマシの「悲しみの果て」という曲のなかにこんな部分がある。

 

部屋を飾ろう

コーヒーを飲もう

花を飾ってくれよ

いつもの部屋に

「悲しみの果て」作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次

http://j-lyric.net/artist/a001cc9/l00cb87.html

 

 乾いた心をうるおし、生きる力を取り戻させるのは、日々の暮らしにおけるほんのちょっとの「差異」である。いつものようにめぐる朝の、コーヒーの香りの微妙な違い、再現しようもない花のかぐわしさ。

 

 しかしおばさんくらいのたのしむ達人になると「コーヒーを飲もう」でなくてもよく「ほうじ茶を飲もう」でもいいのだ。充分アガれるのだ。もっとエスカレートすると「お白湯でも飲みましょ」になるかもしれない。そこまで来たらもう怖いものなしである。何もかもが輝いて手を振るだろう。

 

『滝を見にいく』、おばさんの群像劇として素晴らしいうえに、今後の人生の指針まで与えてくれた。

 

 わたしは今後ものすごいはやさで歳をとるけれど、目指すところはただ一つ。

 シラフでほうじ茶でテンションを上げられるおばさんになることである。

 

 

 

 

クリエイトSDに魂を売った夜

 前に住んでいた町には、クリエイトSDという薬局くらいしか便利な店がなかった。

 

marple-hana1026.hatenablog.com

 

 クリエイトSDというのは神奈川県で幅をきかせている大型ドラッグストアで、日用品から医薬品から食料品までなんでも揃う、トモズとかウェルシア薬局みたいなものである。あの頃のわたしにとって、クリエイトSDはまさに砂漠のオアシスだった。オープンセールのときに配ってくれた栄養ドリンクの味も、ほかではあまり売っていないカトキチほうとうの味も忘れることはない。今では便利タウンにすっかり染まり切ってしまったけど、クリエイトSDが一つ近所にあればとりあえず生活できるのだということをわたしは身をもって知っている。

 

 あの頃のわたしはすっかりクリエイトSDにほだされていて、やれクリポンだのレシートについてくるオマケポイントだのを一生懸命ためていた。400ポイントがたまると現金扱いで消化できるんだけど、そのときの気分は最高だった。「この日を信じてやってきた…」そういうさわやかな気持ちになったのは初めてのことだった。

 

 そもそもドラッグストアというのは、なんだか妙に心落ち着く空間である。洗剤や入浴剤や基礎化粧品がズラリと陳列されているのを見ると、「清潔」という言葉が浮かんで気持ちが良い。プチプライスの化粧品を眺めて、あれもこれもと目移りして結局買わないという不毛な時間を過ごすのも楽しい。お菓子が普通のスーパーより少しだけ安いのを発見すると、ものすごく得をしたような気持ちになる。

 

 クリエイトSDはそういった「ドラッグストアの愉しみ」を満たしに満たしていた。赤いパッケージのチルドのシュウマイが常に80円くらいだというポイントが、とくにわたしの心をくすぐっていた。しかも冷凍食品がつねに半額。プチプラ化粧品の定期的なセールにも余念がない。しかも主にクリエイトSDでしか売っていない「ハートチップル」というにんにく味のお菓子もうまい!クリエイトSD万歳!!

 

 ということで行くたびに長時間店内を徘徊していた。

 

 ある日わたしは彼氏と「アイスでも買いに行くべ」ということでやはりクリエイトSDに来ていた。中井貴一のように贅沢な間の取り方をして話す彼氏と、スローな会話をしながら店内を徘徊。すると妙な感覚がした。彼氏があまりしゃべらないせいだろうか、いつもは気にしていなかった店内BGMが耳を頭を支配して離れない。

 

 


Create SD テーマソング

 

♪ クリーエイト、エ・ス・ディー!(チャッチャ)

♪ クリーエイト、エ・ス・ディー!(チャッチャ)

 

 このメロディーが、歌詞が、わたしを支配してくる。体の底から何かが湧きあがってくる。率直に言って、「踊りたいな」と思った。

 

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ヒッポちゃんとクリエイトテーマソング | ドラッグストア クリエイト エス・ディー

 というかこのクリエイトSDのキャラクターのカバ、ヒッポくんというそうなんだけど、この方が歌っているのだろうか。よくわからないが、とにかくこの曲にやられた。思えばこのときからわたしはヒッポくんに身も心も支配されていた。それまでしこしことポイントをため、ヒッポくんの機嫌をうかがってきたのもこの前ぶれだったのかもしれない。

 

 彼氏と暗い夜道をアイスクリームやプリンを入れたガサガサした袋を振り回して歩く。もう店を出たというのに、あの曲が頭の中で流れていて止まらない。「クリーエイト、エ・ス・ディー♪」 ヒッポくんは脳内に直接語りかけ、わたしの思考を制限し、その代わりにあの曲で満たしていく。「クリーエイト、エ・ス・ディー♪」それ以外考えられないようにしてくる。わたしはもう辛抱たまらなくて歌った。

 

♪ クリーエイト、エ・ス・ディー!(チャッチャ)

♪ クリーエイト、エ・ス・ディー!(チャッチャ)

 

 乾いた夜の空気に響く、歌唱。

 

 しかし彼氏はわたしがすでにヒッポくん支配下にあり、かつてのわたしとは全く異質な存在になっていることなどまるで気が付いていないようで、「その曲気に入ったの?」と優しく微笑みかける。ごめんなさい、恋人よ。愛している、愛していた。しかい今のわたしは内面的に変質を遂げて、もうすでにかつてのわたしではない。HIPPO様に肉の芽を埋め込まれ、身も心もクリエイトSDの繁栄と共にあろうとしている。もうかつてのわたしではない。でもまだ間に合うかもしれない。この頭の中の音楽が鳴りやめば…。

 

 家につき、彼氏はさっそくお菓子を広げる。その背中を見る余裕もなく、わたしの頭の中の音楽が大きくなっていく。HIPPOに植え付けらた肉の芽は深く深く根付き。支配を強固にしていく。どこかからHIPPO様の声がする。

 

 (歌え……踊れ……歌え……!踊れ……!)

 

 もう考えることなどままならず、わたしは彼氏のまえに躍り出ていた。

 

♪ クリーエイト、エ・ス・ディー!(チャッチャ)

♪ クリーエイト、エ・ス・ディー!(チャッチャ)

 

 わけのわからない歌を劇団四季ぐらいの熱量で歌いつつ、サザエさんオープニングにおけるタマのごとき腰振りをしながらズイズイとにじり寄ってくる、恋人のような女を見て彼は何を思っただろうか。世の中には驚くほど些細なことで交際相手に愛想をつかす人がたくさんいる。

彼氏の頼んだ海老天丼の衣が巨大に膨らんでいて、完璧だった彼氏への愛情が冷めた - 鬼嫁ちゃんねる

 

 これは彼氏の頼んだエビ天丼がなんかダサくて気持ち悪かったがために恋心が冷めたという2ちゃんの書き込みである。こんなことで冷める人がいるくらいなのだから、「彼女がクリエイトSDあるいはそのカバに心酔し、訳の分からん歌を歌いながら、素人がらみの気持ち悪いダンスでにじり寄ってくる」というシチュエーションは十分に冷めるに値する。それでももう誰もわたしを止められない。

 

 その後のことはまるで悪い夢にうなされていたようで、あまり覚えていない。HIPPOによる支配も、本当にあったのかどうかすらよくわからない。

 

 今はあの悪い夢のような夜の記憶から逃れるようにして、クリエイトSDのないところに引っ越した。

 

 しかしつい最近、スルリと口をついて「クリーエイト、エ・ス・ディー♪」と歌ってしまい、まだ支配が断ち切られていないことを知る。肉の芽は深く深く根付いている。

 

 

 

信じるか信じないかは皆さん次第ですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅の恥をかき捨てると自我が崩壊する

 ついこの間、所用で箱根鉄道のとある駅に行った。博物館でひとしきり見学したあと駅のホームにたどり着くと、登山の装備をした楽しげな高齢者集団や、ツーリングみたいな恰好なのになぜか鉄道に乗ろうとしている中年集団などがわらわらと憩っていてにぎやかだった。

 

 当然だけど誰も知っている人はいない。

 

 わたしは「遠くまできたもんだ」と思いながら、自販機で缶コーヒーを買い、ベンチに座って「金属の味がする」と思いながら飲んだ。日差しが強く、黒ずくめのわたしには熱がこもっていて、頭がぼーっとした。

 

 赤いお菓子の箱のような電車がやってくる。この電車に乗って小田原についたら田舎のばあちゃんのために鈴廣のかまぼこでも買って、横浜まで帰ろうと思った。なのに身体が動かなかった。誰もかれもみんな楽しそうに乗り込んでいく。乗らなきゃと思うのに、とりもちでもついているかのようにベンチから尻が離れなかった。

 

 乗り込んでいく人たちに対して、「あ、いま膝に猫乗ってるんで」とまったくわかりきった嘘を心のなかで言いながら、赤いお菓子箱を見送った。

 

「ずっとこのままでいいかな」と思って動きたくなくなるときがたまにある。

 

 居酒屋のトイレで、男性が使ったあとに便座を上げっぱなしにしていることに気がつかず、尻が便器にすぽっとはまったとき。「いつもきれいにご使用いただきありがとうございます」という字を見ながら、「もうずっとこのままでいいかな」とほろ酔いの頭で思ったりした。

 

 ほかにもある。小学生のとき、アイスの実にはまっていた。

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アイスの実 うらごしピューレ入り グリコ コンビニスイーツ日和!

 

 10年くらいまえのよそさまのブログから画像を拝借してきた。そうそうこんなのだった。このカラフルな冷たい玉がきっしりと入っているのが好きで、毎日のように食べていた。

 

 その日はアイスの実をコンビニで買い、我慢できずにすぐに開けて2つくらい食べて残りをカゴに入れて家路に急いでいた。小学生特有のあまり意味のない立ち漕ぎをしながら、急いでいた。しかし立つたびにカゴの中身のアイスの実が気になる。おいしそうなカラフルな玉たちがじりじりと溶けながら揺れている。

 

 気づくとカゴの方に手を伸ばしていた。指がちぎれそうなほどに、アイスの実を求めていた。

 

 するといきなりノーハンド運転になった自転車はバランスを失い、思わぬ方向に進んでいった。景色が変わった。電柱のグレーが視界を覆ったかと思うと、サドルから股間に強い衝撃が加わり、空が見えた。自転車は横転し、劇場版るろうに剣心佐藤健ばりのスライディングを決めて滑っていった。

 

 熱せられたアスファルトには、カラフルな甘い香りのする球体と、わたしが転がっていた。

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 こうして寝っ転がっている間にもアイスの実はじりじりと溶け、膝からは血が染み出していくというのに、起き上がろうとは思えなかった。なんかちょっと素敵なひとときにすら思えた。頭と身体がつながってるんだかつながっていないんだかわからないけど、ぼーっとして心地よかった。

 

 あのときほど、「このままこうしていようかな」と思ったことはない。

 

 とまあ『失われた時を求めて』のごとくどうでもいい人生の断片の回想シーンが走馬燈のように頭を駆け巡って、ホームのベンチで一人死んだ目でコーヒーをすすった。どうでもいい断片である。だれもこんなこと知らないし、知らなくてもよい。

 

 思えばずっと暇な人間だった。暇な幼稚園生、暇な女子小学生、暇な女子中学生、暇な女子高校生を経て、暇な女子大生なのである。しかしインターネットにうといわたしでも、暇な女子大生はすでに名乗られ尽くされているので使用しないほうがベターだということを知っている。本当に暇な女子大生が「暇な女子大生」を名乗ることのできないこの世の中、「暇な女子大生」の再分配がなされるべきではないだろうか。違いますか。そうですか。

 

 なんだかやさぐれたので、ベンチから降りてちょっとウンコ座りをしてみた。ついでにリュックからパンを取り出してかじってみた。足元には飲みかけの缶コーヒー。そして何年かぶりにチッと舌打ちをする。

 

 自分史上最高のワルが出来上がった。普通は缶コーヒーに煙草であろう。そこをわたしはパンである。しかしこれは純然たるワルなのである。だってパンはチョリソーソーセージパンである。

 

 知らない場所で、知らない人がポツリポツリといるなかで、ワルになっている。

 

「いや、誰だよ」と脳内の誰かがツッコむ。

 

 わたしはその声を聞きながら「ずっとこのままでいいかな」と考えるでもなく考えている。 

 

 

 

 

その電車が銀河鉄道に変わるとき

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電車に乗っているとき、ずっとこのまま居られたらと思うことがある。そう思わせる車両がたまにある。

 

他人の気配や視線というのは緊張をもたらすものだけど、不思議なくらいそれが無い車両なのだ。他人同士が絶妙な空気感で配置されていて、誰も各人をじろじろと眺めたり、詮索したりしない。大きな声でゴシップを話す人もいない。前髪の脂ぎった、いちゃいちゃの激しいカップルもいない。舌打ちをするおじさんもいない。ただそれぞれが、他人との境界線をふんわりと守っている。そして自分が誰であるかを忘れているかのような、ゆるみ切った表情をしている。ぼーっと、安定感のあるラクダに乗って砂漠を旅しているかのような表情。みんなが車両のその空気に包まれることによって、ようやく自分の輪郭というものを手にしているかのような、そんな感じである。

 

会社では高い役職をもっている人でも、はたまたフリーターであっても、ただまんだらけに行ってきたニートの人であっても、さっきまで会社で後輩をいびっていた女性社員であっても、育児が本気でめんどくさくなってきている主婦の人であっても、実は25世紀から来ている人であっても、それはその車両では何も意味をなさない。ただ「そこにいる人」としてただそこにいるのみである。そのときわたしも何者でもない。

 

そういうとき、自分に起こったすべてのことがとても遠く感じる。今朝床に落ちてるコーヒー豆を虫だと思って一人でビビり倒したこと、原宿で知らない人に頼まれて写真を撮ったこと、親族に莫大な借金があったこと、足の小指の爪が割れたこと、恋人からもらった手紙が素晴らしかったこと、生まれたこと。スケール大小のさまざまな出来事が自分から切り離されて遠くに行き、どれも等しく極小になる。なんの星座も作らないカスのような星になる。

 

その車両にいるわたしは同じ身体で体験してきたすべてのことを自分のことだと思えない。「女子大生」「アルバイト」「○○さん」「○○ちゃん」「年齢オブジョイトイさん」、すべての肩書きがはぎ取られてただのそこにいる人でしかない。それはまわりの他人も同じである。こんな車両にいて、課長でいられるわけがない。

 

そしてそれはびっくりするほど心地いい。

 

この社会では一貫した「自分」を持たないとやってられないのだと思う。でもそれはすごくキッツい。

 

「積み上げてきた経験」とか、「あの頃の自分がいたから今の自分がある」とか、情熱的な人は言う。彼らの人生というか成長物語は、切る度に顔がイケメンになっていく金太郎飴のようなものである。同じ顔ではあるけど、徐々にアハ体験的にイケメンになっていく。確実に成長していく。一貫した「自分」をもっている、あるいはもっていると思っているひとにはこうした成長があるのだ。

 

一方でわたしの人生は切っても切っても同じ顔が出てこない金太郎飴のようなものなのだと思う。その細長い飴は自分のこの身体だとして、それは揺るぎなくいつも在るんだけど、切ったときに出現する顔はいつも違う。カニエ・ウェストが出たあとに数千回切ると岡本夏生などが出てくるかもしれない。さっき考えていたことがもうつまらない。さっき嫌いだったことがもうおもしろい。さっきやっていたことも明日やるとは限らない。よって成長はない。

 

そんなめちゃくちゃで怠惰な金太郎飴でも、切られずに、断片を見せずにそのままゴロンと存在していられるのがそんな車両なのである。ここにいる誰も、わたしの断片を知らない。興味もない。見せる必要もない。だから心地いい。そして無数に存在する自分のあらゆる顔なんて、心底どうでもいい。どれもみんな遠く感じる。どうせ薄っすいスライスの顔である。

 

ほら、みんな円柱型の色とりどりの金太郎飴に見えてきた。金太郎飴が座ったり、つり革につかまったりしている。切ればどんな顔が出てくるかをお互い探り合おうともしない。

 

あれ、これってみんな死んでるんじゃない?ひょっとしてこれ、銀河鉄道なんじゃない?わたしの地元のセンパイ、宮沢賢治は「死者しか乗れない列車が銀河空間を縦横無尽に旅する」というぶっ飛び設定を100年前に思いついた変態の人なんだけど、センパイがいってたやつってこれなんすかね。

 

目黒線の元住吉と武蔵小杉の間に差し掛かると、グッとレールの高さが上がって電車が浮き上がるような感覚がする場所がある。このときわたしは「いよいよ離陸か?????」と思う。社会から隔離された金太郎飴たちを乗せて、東急目黒線は夕焼けの空に飛び立ち、銀河空間へ飛び出していく。ああもう街の灯りがあんなに遠くまで。もうずっとこのまま居られたら。

 

「○○ステーション、○○ステーション」

 

わたしは黙って電車を降りる。

 

 

 

 

 

わたし(8才)責任編集『五日間でねこになれよう。』

 

「子供は汚れがない。純粋だ。」なんていうのは子供の頃を覚えていないひとの言うことです。女子小学生ほどバリエーション豊かな悪口を言う生きものはいませんし、男子小学生ほどトンボやカエルをいじめる生きものはいません。

 

 しかし子供の頃にもっていた、視野が狭いがゆえのまっしぐら感、無鉄砲な探求心、どうでもいい細部へのこだわりや洞察力にはまぶしい思いを抱いてしまいますね。鼻くそがあれば深追いし、深海生物を網羅して暗記し、チョコボールのくちばしはハズレでも執念深く集めまくり、母親の毛穴の一つ一つをじっくりと観察して感想を述べ、ねこやなぎを鼻に詰めてみたら取れなくなって病院送りになっていたあの頃。

 

 なんでこんなに子供時代を懐かしんでいるかと言うと、こんなブツを発掘してしまったのです。

 

『五日間でねこになれよう』 年齢オブジョイトイ(8才)編・著

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 これ、実家のベッドの下から出てきました。「え、これなんだっけ」と思ったんですが、どうやら小学二年生のときの宿題のようです。なんで我々はこんなに過去のことを忘れてしまうんでしょうね。

 

 まずこれ、表紙からすごいですよね。猫三体いますから、ご本猫に加えてダメ押しで、もう一体割とリアルなタッチで描き込まれていて味な表紙です。そしてサイドにカラフルな★のマークが描き込まれているのも女子小学生っぽさがあってよいです。

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 余裕の表情。年相応のイラストですが、鼻のラインと顔の骨格にささやかなこだわりと感じます。

 

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 そしてこのご本猫、ももちゃんという名前でした。実はオスなのですが家族全員がなぜかメスだと思い込んでノリノリで名づけたんです。父だけは「こいつ…どことなく仲村トオルあたりに似てないか?」とずっと言っていましたが。

 

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  のっけから注意事項が記載されています。

このせつめい書を読めばあなたも五日間でねこになれることができます。まず次の二つのことをまもってください。

  • しっぽにさわると、いやがるのでさわらない。
  • ひっかいたりかじったりしたらしかる。

 かなり猫初心者向けの本のようです。「五日間でなれる」って、どこでそんなTOEICの本みたいな手法覚えたんでしょう。

 

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 そしてページをまたがずにまたこいつが出現。白目の少なさが青鬼を思わせないこともないです。「これだったらわりとうまく描ける!」という年齢オブジョイトイ氏のささやかな自信がうかがえます。

 

もくじ

①道具を用意しよう。(一日目)

②エサをあげよう。(二日目)

③ねこをだいてみよう(三日目)

④じゃらしてみよう。(四日目)

⑤にわへ出してみよう。(五日目)

 一日目にはエサをあげず、三日目にしてようやく抱っこするという猫にとっては大変ハードなスケジュールになっております。

 

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 猫だけの中央フリーウェイ。よそ見上等大爆走。

 

 それではさっそく五日間で猫とお近づきになれるとのことなので読んでいってみましょう。

 ①道具を用意しよう

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 まずねこをかうのに大切な、つめとぎ、キャットフード、ねこ用のトイレ、トイレ用の砂、くびわを用意する

※首わをきつくしめすぎないように

 

 まさかのつめとぎが最重要項目として登場。そんなに大事か?キャットフードやトイレの砂の袋に、さりげなく猫のイラストが描かれているのが小憎らしいです。

 

 そして「※首わをきつくしめすぎないように」。大事です、たしかに大事。こんなことまで配慮できるなんて、なかなか8才の頃の自分も捨てたもんじゃないです。座右の銘にしようかな。「首わをきつくしめすぎないように」

 

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 そして年齢オブジョイトイ氏痛恨のミス、エサ皿を道具に加えるのを忘れたようです。だからこんなコラム的なとこにねじ込んでいるのでしょう。うつわを無駄に4パターン描いてどうする。

②エサをあげよう。

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 二日目にしてやっとごはんをあげるようです。「できればうつわのここくらいまで」と細かく指示を下してきます。しかも「ちょっとひと言」が定番コラムとして定着しつつあります。そしてあたかも全猫がかにかまぼこを好むかのような言い回しをしています。ここは年齢オブジョイトイ氏が一貫してこの本を作ってしまったため、客観的な視点を欠いてしまった部分だと思います。

③ねこをだいてみよう。

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 三日目にしてようやく抱いてやるようです。じらし過ぎ。猫を抱かずに二日間過ごせます?わたしは無理。

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 世の中にあふれる書籍にはいわゆる注釈と呼ばれる説明書きがたくさん書かれていると思うんですが、まさか「あおむけ」を注釈する本はほかにないでしょう。「あおむけ」もびっくりしていると思います。でも考えてみれば「あおむけ」みたいな言葉の響きだって子供には新鮮なんですよね。

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たてにだくといやがるねこと、あおむけでだくといやがるねこがいます。

 あたかも幾多の猫を抱いてきたかのような口ぶりですが、おまえ、このときももちゃんしか抱いたことなかっただろ。知ったような口を聞くな。抱いた猫の数を盛るって、どういう見栄の張り方してるんだよ。

④じゃらしてみよう

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 ようやく発展的な内容になってきた気がしないでもないです。衣食住が整ったら、次は遊びですよね。

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 急に思い出したんですが、この本をつくるとき積極的に手伝ってくれたのは父でした。ももちゃんが遊んでいるこのビロってした紐、父がパジャマがわりにしていたジャージのズボンの紐なんですよね。ズボンの紐がなくなるのって、地味に嫌じゃないですか?そんな犠牲を払ってまで手伝ってくれた父、案外いいお父さんだったかもと時を超えて見直してしまいました。

⑤にわへ出してみよう。

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 にわへ出すそうです。あの、ももちゃんは外の草をワイルドにバリバリ食べちゃうような猫だったんですが、これは全猫にあてはまることではないですよね。配慮に欠けておりました。申し訳ありません。

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おめでとう!!

わたしの家のねこがたべたもの

どらやき

②ささかまぼこ

③やき魚(シャケ)

④やき魚(さんま)

他にもどんなものを食べるかためしてみましょう。

 どうやら五日間のねこなれプログラムは終了したようです。あっけなかった。しかも②ささかまぼこって書いてあるけど、かにかまぼこが好きなんじゃなかったの?しかも「他にどんなものを食べるかためしてみましょう。」っておそろしい事を言うな。

あとがき

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  あとがきの文量よ。

 

この本にはのっていないけれど名前をつけないといけません。すきな名前をつけるのもいいし、何かねがいをこめて名前にしてもいいです。

 ももちゃんはどんなねがいをこめてつけられた名前だというんだ。オスで仲村トオル似なら、トオルでよかったんじゃないか。

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 そして最終ページをかざる、弱肉強食トライアングル。なぜか首から上で切り取られたももちゃんが謎の立場から俯瞰している。どういうまなざしだ。

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 背表紙もぬかりなし。

 

おわりに

 年齢オブジョイトイ(8才)責任編集『五日間でねこになれよう』に大人げなくツッコミを入れつつ振り返ってみました。子供の頃の宿題を掘り起こしてツッコミを入れながら読んでみるとめちゃくちゃ楽しいので皆さんにもおすすめします。わたしの場合は思いがけず父親を見直してしまったこと、ももちゃんという昔かわいがっていた猫のことを思い出せたこと、座右の銘を発見したことといいことづくめでした。

 何より、子供の頃の視点を思い出すことができます。わたしは今でもたまにコロコロコミックを読みますが、それと同等の効果があります。

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 何かに迷ったときや、アイデアに詰まったときは子供の頃の自分に聞いてみましょう。

 

 しかし在りし日の年齢オブジョイトイよ、おまえはあまり猫を語らない方がよい。

 

 

【元住吉】ツキノワコーヒーのススメ

 最近友達が酒のみ自慢をしているのを聞くと胸がざわつくようになりました。無茶せず夜には一杯だけビール飲んで、朝には家でじっくりコーヒー淹れて飲んで安らいでいたいです。シャレオツなバーを知ってる人より、美味しいコーヒーが飲める店を知ってる人に付いていきたい。

 

 そんなわたしにとって、コーヒー豆をどこで買うかは重要な問題。風の噂で、元住吉にナイスなコーヒー屋さんがあると聞きつけて行ってまいりました。

 

ツキノワコーヒー

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ツキノワコーヒーのホームページへようこそ

 元住吉から徒歩三分、ブレーメン通り商店街のはずれにある小さなお店。入る前からコーヒー豆が煎られるあま苦い匂いが漂っています。

 

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 入ると焙煎する前の15~20種類の生豆がずらり。

 

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http://tsukinowa-coffee.com/banana/

 「今月のスポット豆」というものがあり、月によってスペシャルなコーヒーが限定入荷するようです。このときは高級種として有名なゲイシャが生豆200グラムで1500円。おそらくこれは安い方です。

 

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 いちばんリーズナブルで人気なのがこのツキノワブレンドだそうです。この日はこれをオススメのシティロースト(中煎り)でいただくことにしました。ローストの段階も豆ごとに選べるようです。

 

 マスター、無口な方であまりぐいぐい来ませんが声かけると優しく答えてくれるのでいろいろ聞きながら決めるのがいいと思います。

 

 わたしのほかにも注文している人がいて、25分くらいかかるとのことでした。カフェインレスの豆を購入している妊婦さんや、電話から注文してきているひとがいて地元で愛されているコーヒー屋さんなんでしょう。マスターには「わざわざ電車に乗ってくる人はレアです」とすこし笑われました。

 

 ともあれ、待ち時間があるので一旦店を出ます。

 なぜかおかしのまちおかに行って「こつぶっこ」を購入。しかしそれだけで時間をもてあまして結局お店で待たせてもらうことに。

 

 するとマスターが「コーヒー飲みます?」と。

 

 ええ!?いいんですか?って感じでいただくことに。

 

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 ツキノワグマ?の置物を眺めながら待っているとコーヒー登場。

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 ほわー。ツキノワコーヒーオリジナルカップに入ったマンデリンコーヒーが登場。コーヒーのおいしさを表現するときに、「溶かしたチョコレートのような」とか「さわやかな果実のような」とかいうのを大げさだと思ってたんですけど、それがしっくりくるくらいおいしかったです。こんなのサービスで出していて大丈夫なのかと余計な心配をしたくなるくらい。このロゴデザインは元デザイナーのマスター自身で考案したとのことで、かなり良い感じです。

 

 そうこうするうちに豆が出来上がったのでスタンプカード作ってお店を出ました。

 

ツキノワブレンドを飲む

お楽しみの時間。

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 包装もシンプルだけどお洒落なのでプレゼントにもよさそうですね。わたしは豆で買いましたが挽いてもらうこともできるようです。

 

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 愛用のペリカンのコーヒー達人にお湯を入れて90度くらいになるまで待ちます。生活感のあるコンロです。

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このペリカン、注ぎ口がこのようになっているので一滴ずつじっくり注ぎたいときにも、ふとめに注いでさっぱり淹れたいときにも使えます。便利。

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 豆は2人分で25グラム。乾いた感じの豆です。ほんとうは一人分でやりたいのですが、うまくいった試しがないので。

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 お湯をそそいで蒸らすともわーっと豆が盛り上がります。焙煎時のガスが抜けてきてます。

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 このあわあわ、カプチーノみたいでおいしそうなんですが実は下に落ちるとエグみの原因となってしまうので、落ちないように絶妙のスピードでお湯を注いでいく必要があります。でも、海外のハンドドリップコンテストで優勝した日本人の方はこの泡も含めて落とし切る方法を使っているとかで、コーヒーってほんと訳わからないですね。

 

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 できました。近所で買ってきたドーナッツといっしょに。

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 その植木鉢みたいなカップは何だよと思われたことでしょう。これ、自由が丘のアウトレットの陶器屋で買ったんですが、びっくりするほど薄くて光にかざすと底まで透き通るんです。飲み口も薄いので、冷やしたお酒にも、緑茶にも、コーヒーにも合うと思って購入しました。とてもお気に入り。

 

そして肝心のコーヒーの味ですが、とてもおいしいです。まあ、当たり前なんですけど。たぶんわたしみたいなハンドドリップ初心者でもおいしく淹れられるようにできてるブレンドです。

 

「コーヒーってなんだか難しそう」
「レギュラーコーヒーってめんどくさい」

って思っていませんか。
毎日、お店ではおいしいコーヒーを飲むのに
自宅ではインスタントや缶コーヒーで我慢してたらもったいない。

コーヒーはちょっとしたコツをつかめば決して難しい飲み物ではありません。
ツキノワコーヒーはおいしく簡単なコーヒーの飲み方を提案します。

ツキノワコーヒーのホームページへようこそ

 

 また行きたくなってきました。

 

 次は元住吉に住もうかなと本気で考えたくなるくらい最高な店、ツキノワコーヒーの紹介でした。

好きな人の顔を思い出せない現象についてプルースト先生と話し合う

ちょっといきなり甘酸っぱいことを言ってしまって申し訳ないんですけど、

 

わたし、好きな人の顔をなかなか覚えられないんですよね。自分だけだと思ってたけど、周りに聞いてみたらけっこうそういう人っているみたいです。

 

たとえばあなたはこんなシチュエーションにいる。

 

憎からず思っている相手と中目黒の高架下あたりで飲み、おでんをつつく彼の横顔を見たらなんか菅田将暉みたいに鼻がツンッとしているような気がしてかわいくて急激にキュンときて、俄然ノッてきて話もはずんで、それでも健全に終電前に別れて「またね」なんて言って各停の駅で降り、なんとなくまっすぐ帰りたくないくらい気分が高揚していてコンビニなどで無意味にアイスを買う。

 

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 https://spice.eplus.jp/articles/156690

 

だらだらとした坂を登り、自宅についてメイクを落としふーっと一息。バスタブに湯をためて、とっておきの入浴剤(クナイㇷ゚など)を入れて彼のことを思い出してみる。彼って意外と手が大きいんだ。やせっぽっちなのに。ミツメとか聴くんだ。あまりにイメージ通りすぎてちょっと恥ずかしくないだろうか。古着みたいなほっこりっぽい匂いとあたたかそうな体臭が混じってた。それも悪くなかった。肩のとこに糸くずついてたの取ってあげたら、とくに恥ずかしがるでもなく「ありがと。」と言った。なんかまぬけっぽくてかわいかった。いいな、いいな。繊細そうだけどがさつなところもあって、さっぱり涼しげで、性欲があんまり強くなさそうで。次は映画かな。吉祥寺のあのミニシアターで映画見て、ハンバーガーでも食べたいなあ。ロメール好きとか言ってたのって、あれちょっと背伸びだよね。ところで好きなタイプが門脇麦ってそれどうなのよ。どうなのよってこともないけど、どうなのよ。麦ちゃんがどれほど好きなのよ。

 

とまあ、片思いをはじめたばっかりの女の気持ちを妄想するのが楽しくて無駄に長くなりましたが、こうして彼のことを延々ループで考えるわけですね。こういうとき、どうしようもない細部は思い出せるんです。菅田将暉みたいなツンとした鼻、手の血管、微妙な匂い、好きな音楽に映画、などなど。

 

ああ、彼どんな顔してたっけ…。鼻はこうツンとしてるでしょ。髪型はなんか…こうくしゃっと。そう、ホクロあったあった。あれ、でもどんな顔だっけ。顔の形でいえば五角形だけど、そういう感じじゃなくて…。ちゃんと顔と顔を見合わせて話してきたのに、何度も盗み見た顔なのに、どうして思い出せないんだろう。aikoは横顔だけ見れれば十分みたいなこと言うけど、あたしはそんなんじゃイヤだよ。

 

こうして彼のいろんな細部を思い出して、悶々としているのですが、その細部が彼の像を結ばないのです。細部が細部としてばらばらに存在しているだけで、まったく彼全体が浮かび上がらないのです。

 

かろうじて像が結ばれても、ものすごく幾何学的というかデフォルメされた顔として思い出されるのです。たとえば「どうぶつの森」の主人公みたいな顔です。

 

 

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 とびだせ どうぶつの森 人気の顔は - とびだせ どうぶつの森 攻略

 

ほんとね、こんなもんですよ。菅田将暉みたいでいとおしいと思えた鼻も、ぶつ森のこの赤くてしょぼっちい▲に早変わりですよ。

 

これってどういうことなんでしょうか。自分だけかと思いきや、この疑問を抱いている人は結構多いみたいで、調べるとたくさん出てきます。みんな真相が気になるようで、幾多もの議論が交わされているようです。

 

  • 好きな人を見るときは興奮して瞳孔が開いているので、ピントが合わないから。
  • 好きな人の顔はしっかり見ることができないから。
  • 若さ故。

 

などの理由が挙げられていますがどれも核心には迫っていないようです。

 

このなかだとかろうじて、「瞳孔が開くから」がもっとも妥当な理由である気がします。わたしの場合、改めて好きな人の写真を見たときにあまりの違和感に驚いてしまいます。マジで誰オブザイヤー2018受賞だなってくらいに。菅田将暉どこ行った?ぶつ森どこ行った?なんですかこのやたら生々しい人間の男は。ってな感じで混乱に陥るのです。もし瞳孔が開いて現実の彼の姿をきちんととらえられていなかったとしたら、デフォルメされた姿も、写真をみたときに違和感を感じるのも納得できます。

 

しかしなんとなくなんだけど、瞳孔うんぬんの話じゃないような気がするんですよね。というのも、フランスの超大作『失われた時を求めて』でこんな部分があって、ちょっと思うところがあったから。

 

プルースト失われた時を求めて』の語り手は、恋心を抱くジルベルトの顔は思い出せないのに、回転木馬の受付の男や飴売りのおばさんの顔は、正確に記憶に刻まれたと語っています。この語り手によれば、相手に情熱を抱けば抱くほど、相手の姿はある一つの像として思い出すことが難しくなるといいます。恋心を抱く相手を見つめるときはあらゆる感情がうずまいていて、視覚からの情報が少なくなり、そのため相手のはっきりとしたイメージを獲得することが難しくなっていると自ら分析しているのです。わたしと同じですね。

 

さらに踏み込んで、こんなことを言っています。

 

愛する人を眺める時]おそらく視覚を超えるものを視覚で知ろうとして、すべての感覚が同時にそこに加わって活動しはじめるので、生きた一人の人間が次々と示す数えきれない形態や、ありとあらゆる味わい、動きなどを、われわれはあまりに寛大に受け入れてしまうかもしれない。ところがふだん人を愛していないときのわれわれは、相手を固定してしまうものなのだ。逆に愛されているモデルは動きまわる。だから写真はことごとく失敗に帰するほかない。

プルースト『花咲く乙女たちのかげにⅠ』(鈴木道彦訳、集英社、1997年、113ページ)

 

時空を超えて、プルースト大先生と恋愛あるあるで盛り上がれるとは思いもしませんでした。ちょっとしたグータンヌーボが仕上がってしそうなくらい、共感できます。

 

 「写真にはうつらない美しさ」があるとは聞いていましたが、まさにこのことなんですね。わたしたちは相手をフレームにバシッと収めて、記憶に残したい。でも相手は次々と多様な顔を見せてきて、水のように変化していく。これがただの「先生」であったり、「受付の男」であれば、その一面的な顔のみを記憶していればよい。でも愛する人を見るとき、その変わりゆくすべての姿を見ようとしてしまう。すべてを焼きつけようとしてしまう。あるある~。プルちゃんそれあるある~。愛する人のすべてを一枚のイメージ、写真に閉じ込めようとするってのがそもそも無理筋だったんだよね~?

 

 厳密には「愛する」と「恋する」は違います。「愛する」ときは相手のいろいろな姿や顔をすべて受け入れたい気持ちになっているのですが、「恋する」ときはむしろ、相手のある一瞬の顔に引き込まれている。その一瞬の顔を彼のイメージとして固定すると、他の多様な顔が「謎」として浮かび上がる。そういうわけで無数の「謎」が像を結ばずに、妙にデフォルメされたぶつ森的な顔で思い出されてしまうというわけなのでしょう。つまり、顔が思い出せないうちは彼を愛していないのです。菅田将暉みたいに見えたあの一瞬の顔にこだわっているのです。その顔すら思い出せないのは、そのほかの「謎」の顔たちの記憶に邪魔されているからなのでしょう。

 

プルースト先生、そうなんですか、そういうことなんですか。そういうことでいいんでしょうか。

 

もしプルースト先生と恋愛あるあるで盛り上がりたい方がいたら、全十三巻セットがございますのでアマゾンからどうぞ。

 

 

 

 参考: 『写真と文学: 何がイメージの価値を決めるのか』(塚本昌則編 2013/10/29 平凡社)より 「見えない写真――心のなかのフレーム」

 

写真と文学: 何がイメージの価値を決めるのか

写真と文学: 何がイメージの価値を決めるのか