ニートにハーブティーは要らない

ニートにハーブティーは要らない

思ったことを書いています

ない

 あたたかいパジャマがない。捨てたからである。

 捨てたときのことはよく覚えている。捨てたのは夏のことで、それはフリースのもこもこした上下茶色のパジャマだったんだけど、そのとき蒸し暑かったのもあって手触りが異常なほど不快に感じられ、小さな毛玉も汚らしく見え、色などくたびれたラクダのようとしか思えず、憤りざまに捨てたのだとはっきり思い出せる。しばらくゴミ袋に突っ込んで部屋の隅に置いていたが、袋越しにもイヤな感じで、古布回収の日にためらいなく出したのだ。


 しかし最近は、あれがあればどんなにいいかと悔いている。11月にもなれば夜は冷える。怪我人のガーゼぐらいに薄いパジャマを着て、夜ごと震えながら茶をすする。


 土曜日、半日仕事をして帰ってきて、まだ明るかったのであたたかいパジャマを買おうとショッピングモールへ行った。モール内は暖房が効いており汗ばむほどで、安服屋の浮かれた色のパジャマの品々を見ていると、どうしてもこれが生活必需品と思えず、鬱々とした気持ちが込み上げるのだった。


 結局パジャマを買えるくらいの金を使って、輸入食品店で赤ワインを買った。
「白砂糖は体を冷やします、玄米はあたためます、赤ワインもあたたまります、ただし飲み過ぎは禁物ですよ」
そんなのを最近どこかで読んだ気がするが思い出せない。それでも心の中で(赤ワインは体をあたためます)と呟いて買う。塩がなくなったのを思い出したが、輸入食品店に並ぶあらゆる国の塩を前にしても、これが生活必需品とはどうしても思えず、赤ワインだけを持ってモールを出た。


 夜道を歩きながら、ヒートテック的なものもないな、と思う。これも捨てたのである。着古して、かえって心地良いくらいによれよれになったものどもを、やはりなんかイヤという理由で捨てているのである。おそらくまだ暖かい季節に。


 帰って、自分のねぐらで赤ワインを飲む。一緒にエビチリを食べる。体はさほどあたたまらず、唐突に銭湯に行きたくなる。
 片付けもせずに、バッグにタオルとシャンプーと下着を詰めて、22時に閉まる銭湯へ向かう。自分自身に必要なものをもたらせない暮らしが続いている中、心が銭湯を欲しているときにきちんと銭湯に足を向かわせることができた自分に久々の満足を感じながら足早に歩く。


 銭湯は煌々と灯っていた。番頭に500円玉を渡してノンストップで服を脱いで湯桶で体を洗って熱い湯につかる。冷たい皮膚が急に温められてかゆくなる。こんなふうに、服を着てなくても24時間あたたかかったらいいのに。服の摩擦の感じが最近すごく不快に感じる。でも服が必要なのはわかっている。
 湯浴みを楽しんで脱衣所に出るともう閉まる時間だった。慌てて服を着て、濡れた髪のままスニーカーをつっかけて外に出る。
 大きなトラックが通り、風が吹いて、頭皮に濡れ雑巾で殴られるような冷たい痛みが走る。とても寒い。


 そういえば化粧水を持ってきていなかった。すでにピシピシと張り詰めてきている肌を慮り、コンビニに入って日用品コーナーを眺めた。しかし、目薬くらい小さなボトルに入った化粧水を見ていると、どうしても必要なものと思えず、ドリンクコーナーにゆるやかに移動してりんごの炭酸を買った。
 炭酸はおいしいがつめたかった。もはや銭湯に行く前より体は芯から冷えていて、歯がガチガチ鳴っていた。こめかみのあたりに糸のような痛みが走って、(ああ、今、乾燥のあまり血が出ました)と思う。

月は綺麗だった。


歩いているうちに気に入りの藪が出てきた。周りを見渡して口笛を吹いてみた。

何も出てこない。



そのあとは体全部を引きずるようにして歩いた。やっとのことで家に帰ってみると家はなかった。
それもそうだと藪へ戻って、いつもの手順でねぐらを作った。

借りるなり買うなりしなきゃいけないのはわかってはいるんだけど、どうしても生活必需品とは思えずにいる。たぶんずっとない。