ニートにハーブティーは要らない

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思ったことを書いています

選びなおされた言葉たち──『水中で口笛』工藤玲音 第一歌集   

 

作家で歌人の工藤玲音さんが歌集を出した。 

わたしは、エッセイにしろちょっとした連載にしろ短歌にしろ、この人の書くものが好きで、結構前から追いかけている。あまり短歌や俳句には詳しくないけど、この方は特別。 

 

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世の中には、普遍的なものを読みたい人と、パーソナルなものを読みたい人とがいて、わたしは後者の方。そして工藤さんの書くものは、パーソナルの極み。これはパーソナル度合においても、パーソナルな物事を表現する技術においても、極みということである。 

 

個人的な体験から生まれる感傷、思いの揺れ。そういうものにエモいという言葉が割り当てられるようになってからそこそこの年月が経った。毎日膨大な数の人間がインターネットの海に放出するさまざまな発信の中で、「エモの記号」的なものがものすごい早さで氾濫していった。その結果、個人的であるように見えて画一的な、霧の中にある集団幻想のようなエモらしきものが、そこここに見られるようになった。 

 

工藤さんはエモの記号の有象無象をすり抜けて、ぴたりとはまる言葉をつかんで並べて、そこに半径2メートルぐらいの個人的な視野を立ち昇らせる。 

 

夕暮れを先に喩えたひとが負けなのに負けたいひとばかりいる *1

 

これ、ギャッとならないだろうか。 

 

この歌集の中にある言葉自体は、数百年後の人類が何らかの拍子に読んでも虫食いで理解できそうなぐらいふつうの言葉なのだけど、その組み合わせの妙、言葉のあいだの呼吸によって、工藤さんだけのあらゆる体験、感情、思考が鮮やかに再現されている。 

 

そして、工藤さんのような感情的な書き手が、思いついたままに言葉を並べているかといえば、それはきっと違う。読み手を意識し、見せてもいい部分だけが見えるように編集し、しかし芯にある感情をすべて覆いつくさないように、緻密に計算されている。というのも、次のような記事を読んだのでこう思うのである。 

 

工藤さんは11日に盛岡市で開かれた出版記念のトークイベントに出席し、題名の「水中で口笛」について「10代後半の頃に感じた漠然とした息苦しさは水中にいるようだった。その息苦しさを隠すように文章ばかり書いていた。水中で口笛を吹くように平気なふりをした」 *2

 

膝を打つ、という言い方はあまり好みではないけど、そうとしか言えない感覚だ。どうして生きているのが恥ずかしく息苦しいときほど、他人から平気で生きている思われたくなるのだろうか。「やってけてそう」に見えたいのだろうか。 

 

あえて個人的な話をすると、1カ月ぐらい前、流行りの匿名SNSをインストールした。宇宙に浮かぶ惑星をモチーフにしたあれである。思い切りネガティブな感情を発散してやろうと思ったのに、いざ投稿してみようとすると、当たり障りのないことしか言えなかった。画面の向こうのろくに読まずに適当にいいねをしてくる人たちにすら、わたしは「平気」と思われたいのだろうか。ハンバーグの写真を一つ載せて投稿をやめた。 

 

平気と思われたい理由には複数の要素がある。心配されるのを煩わしく思う気持ち。他人から1mmたりとも同情されたくないというプライドの高さ、虚栄心。そしてわずかなサービス精神。このサービス精神というのは不思議で、ささやかな自虐を交えたユーモアとして表出する。わたしのそれは、あまりサービスにならないけど。 

 

工藤さんという作家の場合は、つらい状態のときに、このサービス精神がよく働くのだろうと推測する。そしてそれは、水中で吐き出す、きらきらとしたあぶくのような短歌として現れる。平気に見えるように選びなおされた言葉たち。そう捉えて歌集をさらうと、かろやかな言葉の下に悲しさが見えてくる。 

 

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本当はもっと引用して良さを伝えたかったけど、31音をここに書き連ねるだけで作品一つを丸々持ってきたことになってしまうという事実がなんか怖くなり、やめた。

気になる人はぜひ本を買って読んでみてください。読んだ後、本棚に入れておけば、必要になるときがまた必ず訪れると思います。

 

水中で口笛

水中で口笛

  • 作者:工藤玲音
  • 発売日: 2021/04/19
  • メディア: 単行本