ニートにハーブティーは要らない

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思ったことを書いています

好きな本として『深夜特急』を答えるリスクについて

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 

 

年上(かなり)の人と話していて好きな本の話になったとき、「深夜特急」と答えると「良いねぇ」と目を細めてくれた。

 

ここで司馬遼太郎とか山本周五郎とか答えるのもなんか狙いすぎな感じがするし、かといってブログ出身の新人作家を答えてキョトンさせてしまうのも心苦しい。沢木耕太郎isベストであろう、というあざとい計算をしたのである。

 

沢木耕太郎効果は抜群で、

「ぼくらのときはバイブルでさ。みんな読んでて、貧乏旅行に行ったもんだ。無茶できたよなああの頃は。」などと言って盛り上がってくれた。

 

問題はその次だった。

 

「じゃあ君はどんな旅をしてきたんだい?」と問われてしまった。

 

完全に詰んでしまった。わたしには自信をもって話せる旅がない。

 

ここで口ごもると、サァーっと潮が引いていくだろう。

興ざめジエンドである。

 

読書はインドアな嗜みとされているが、この『深夜特急』は例外である。

 

若者を「ここではないどこか」へ駆り立てる不朽のベストセラーである『深夜特急』。これをあえて好きな本として語る人には何らかの「すべらない旅話」があるということが暗黙の了解となっている。

 

チョンキンマンションのきったないドミトリーに寝泊まりして南京虫にかまれまくったりしたことがないわたしには、その問いは答えるに易くない。

 

なんとなく「深夜特急おもしろいし、この世代にはドンピシャだべ」という安易な考えで、めちゃくちゃリスキーな受け答えをしてしまったのである。

 

ただ、機転の利かせようによってはこの危機を乗り越えられるのではないか。なんにもない街でだらだら過ごすわたしにも、語れることはあるのではないか。

 

唐突なようだけど、わたしは宮沢賢治のふるさと岩手県の出身である。宮沢賢治は生涯のほとんどを岩手県で過ごしている。自然がある、もはや自然しかない岩手県で弱い身体にむち打ち田畑を耕しながら静かに生涯を終えた宮沢賢治。本当なら「退屈の地」であったはずの岩手県を、自らの心象世界のなかで「イーハトーブ」という架空の理想郷として愛おしんでいた。これは変態と紙一重の所業である。

 

こんな感じのことを苦し紛れに絞り出したあとに、

 

わたしは「ここではないどこか」ではなく「いまここ」を愛おしむ想像力を養いたいんですとか訳わからないことをどや顔で言って煙に巻いて強制終了させた。

 

安易に『深夜特急』をチョイスしてはならない。