ニートにハーブティーは要らない

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ハムをつまみ食いするときの焦りについて

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 夜中、どうにも小腹が減ってキッチンまで這っていき、冷蔵庫を空ける。暗闇に浮かぶスペースコロニーみたいな光の中に、ハムを発見。明日、サンドイッチにしようと思っていたそれを迷いなく開封し、1枚をべろりと食べる。ハム独特の水あめの甘さと、かどのとれた塩気。冷たく、つるりとした食感。「あと1枚なら」と思いながら、乱暴に袋のビニールをべりべり広げる。ハムをもう1枚剥がそうとする。なかなか剥がれない。気がはやる。ああもう、と思いながら袋のビニールをますます大きく広げる。ここでふと、「なんでわたしこんなに焦ってるんだろう」と思う。


 ハムの記憶は子供の頃に遡る。


 夏のお中元に、暮れの元気なご挨拶。それらとともに、スペシャルなハムの塊が家にやってくる。母は少しもったいぶって、冷蔵庫の中の出し入れしづらいところにその薄ピンクの肉塊を入れる。「これはうまいやつだから」という位置にハムは置かれ、わたしはその存在を気にしていないふりをしつつものすごく気にしている。ハムが仕舞われる一部始終を、心の目でじっとりと見つめる。


 母が買い物に出かけたとき、わたしのすることはたった一つ。冷蔵庫に忍び寄り、薄ピンクの肉塊を取り出す。食べたことがわかりづらいように、ナイフで薄くそぐ。母が帰って来まいかとはらはらしながら、むっちりとした繊維質のハムをかじる。もう1枚、と思いながらまた薄くそぐ。そのうち母の車の帰ってくる音がして、もうハムを仕舞わなきゃいけないのに、もっと食べたくてナイフを動かしてしまう。焦りがハムの旨味を加速させる。玄関先で母がごそごそやる音が聞こえて、汗が出てくる。いつかのCMで天海祐希か誰かが、キッチンでハムを切って食べて「これこれ♪」なんて言ってた気がするが、そんな生やさしいものじゃない。もうやめなきゃいけないのに、全身がハムを欲望している。それでもギリギリのところで冷静になり、お粗末にハムを包んで冷蔵庫に戻し、流し台に脂がべっとりとついたナイフを置く。


「おかえり」
「ただいま」


 母はわたしのしたことなどすぐわかる。
小さくなったハムを見て、あれあれなどと言いながら夜ご飯の支度をはじめる。あれほど焦ったのに、ハムをつまみ食いするのは大した罪ではないのだった。


 それにしても、朝食にそれがちんけなハムステーキとして出たときの興醒め感ったらない。椅子に座って行儀よく噛みちぎるハムは、キッチンに突っ立って、焦りに駆られながらも強い欲望に動かされてむさぼり食うハムのうまさには勝てない。


 いまだにハムをつまみ食いするときに焦ってしまうのは、ハムを堪能しようとする無意識の工夫なのかもしれない。焦れば焦るほど、ハムはうまい。それは疑いようがない。


 サンドイッチ用のハムは残らなかった。