ニートにハーブティーは要らない

ニートにハーブティーは要らない

思ったことを書いています

ウルトラアンハッピーお菓子作り

 何をしているかと聞かれれば、お菓子作りをしている。 

 問題なのはなぜお菓子作りをしているのかということの方だ。 

 

 誰に求められているわけでもなく、自分自身が甘いものが大好きというわけでもなく、ただここ数年間、コンスタントに作り続けている。お菓子を作る過程を楽しんでいるのかと思えば、そういうわけでもない。 

 

 お菓子を作るとき、とりあえずボウルやらハンドミキサーやら、重さを計った材料などをずらりと並べる。それからコピーしたレシピを見やすい場所に置いておく。キッチンではオーブンが予熱されていて、冷蔵庫の中では直前までキンキンに冷やしておく卵の白身が眠っていたりなんかする。さらに焼き型にクッキングシートも敷いておかなくてはいけない。なんというか、すでに情報量が多いのである。“万物”がそこに押し寄せてきているような感覚すらある。もうこの時点で気が滅入ってしまって、ちょっとめんどくさいどころではなく、(本当に嫌だな…)と思う。 

 

 本当に、なぜお菓子を作っているのか。まず前提として、お菓子作りというのは「段取りがいい人」にしか向かない。 

 自分がそれに当てはまらないことはわかっている。このインターネット上に残している日記のようなものからも、にじみ出ていると思う。みなさんの職場にもいないでしょうか。みんなで取引先に向かっているとき、後ろで改札に引っ掛かりながら「スミマセ…!すぐ追いかけます…」と言っている人。仕事で暇そうにしているか、ものすごく焦っているかの二択しかない人。丁寧に作り込んだ資料の中に、それを台無しにするほどのでかめなミスがある人。あれらはわたしです。最近ではこういった性質の程度が重いものを病気として認める向きがあるのだが、わたしがどうなのかはわからない。ふつうに生活できているが、「段取り」が弱いということは認めざるを得ない。そしてこういう性質は、学校や資格の勉強ではあまり問題にならないが、確実に支障をきたしてくる場面がある。そう、その一つがお菓子作りである。 

 そういえば、わたしの母は菓子ウマな類の人間だった。普段の料理もおいしかったけど、お菓子となるとより本領が発揮されていた。クリスマスのブッシュドノエル、誕生日にはイチゴのショートケーキを、ごちそうのほかに用意していた。アップルパイやスコーン、ほろほるするタイプのクッキーなど、普段っぽいお菓子もおいしかった。わたしは子供のころ、母の職場の愚痴を聞く機会が多かったのだけど、今思えばあれは「段取りできるサイド」からの愚痴だったような気がする。

 

 お菓子作りに必要なスキルとして大きく「段取り」という表現を使っているが、これには複数の要素が含まれる。 

 一つに、いろいろな材料や道具を扱い、レシピに書いてある工程を正しく理解するための情報処理能力。レシピには「持ち上げてみて生地がリボン状になったら」とか「生地につやが出てきたら」とか判断に困る表現も多く、これが一般的にどういう状態を指すのか、インターネットで探して把握しておく必要もある。 

 二つ目に、予想外の事態への対応力も必要だ。お菓子作りには「オーブンのクセ」という概念があるらしい。ロールケーキ生地を焼いたら、オーブンの奥側だけこんがり焼けて、さくさくのラングドシャのようになってしまった。これにどう対応すればよかったのかというと、オーブンを適宜見守り、焼き色が強い箇所があったらサッと取り出して向きを変えればよかったとのこと。 

 そしてやはり、頭の中にプランを描き、その通りに事を進める遂行力。「いつオーブンをあたためて」とか「生地を焼いている間にクリームを用意して」とかちゃんとイメージしておく。これには「何時から作り始める」という初歩中の初歩のことも含まれる。生地を休ませる時間をちゃんと確保することを忘れがちなので、むしろこれが一番大事である。それから二つ目に言ったような失敗が起こりそうなポイントを把握しておいて、そうなったらどうするかを考えておく。こうして思い描いた通りに、なるべくてきぱきと作業していく。 

 

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最近作ったいちごのロールケーキ。断面はきれいにできたと思います。


 このように、「段取り」に含まれる要素を自分なりに考えてみたところ、結構うまくいくようになってきた。近所のケーキ屋さんの方が見栄えも味もいいけど、近しい人と「おいしいね」と食べられるようなものが作れるようになった。するとお菓子作りは、きちんと準備して臨めばそれなりにできるものだという処理可能感を育むトレーニングのようなもの、ということになる。
 

 

 「段取り」についてつかんだ、その通りに行動できるようになってきた。それでもお菓子作りがあんまり楽しくならないのは、やっぱりなんやかんや失敗することがあるし、それが怖いからである。失敗すると無駄にカロリーの高い、見栄えも嫌な感じの無用な物体を錬成してしまった気がして、とても落ち込む。なんで失敗することがあるかというと、脳がダメな場合が多い。脳がちょっとしたきっかけで勝手に別のことを考え始め、その間に手が止まったり、手が滑ったり、工程を忘れたりする可能性がある限り、失敗の気配は消えない。材料や道具は自分の意志で管理できても、自分の思考は自分でコントロールできない。 

  

 状況に応じて思考が勝手に展開されていくことを「自動思考」というらしい。心臓から送り出された血が全身に流れたり、肺がふくらんで酸素を取り入れたりするのと同じように、自分の意志とは関係ないところですばやく思考が次々に生まれ、流れていくようなイメージだ。わたしの場合は、結構ネガティブな自動思考が展開されることが多く、それが行動にも影響をきたす場合がある。 

 

 お菓子作り中にもそんなふうになる可能性がある。例えば、(生地の様子が少し変だ)という不安が生まれたとき、(あのときもこんな感じで分離して失敗した)→(こういう初歩のところでつまずくなあ)→(そういえばこのまえ仕事でも)→(じゃあこれも失敗だ)という思い込みが暴走して、余計な手を入れてしまうことがあるかもしれない。 

 実際にあったのとしては、彼氏が17:00ぐらいに来るというのでケーキを作っていたところ、何やら間に合わなそうになってきた。焦っていろいろとやっているうちに、(く、来るな!まだ来るんじゃない!)と思ってしまい、(自分で呼んでおいて、間に合わないから来るな!って結構理不尽ではないだろうか)→(これはモラハラのポテンシャルがあるのでは…)→(ネットで[女 モラハラ]で検索したい…)と展開しているうちに、より一層もたつき、大慌てになってしまった。冷静に考えてもみれば、仕事の納期とは違うのだから、17:00に来るからといってそれまでに完成しなくてもいいし、「ちょっと腰かけて待っててよ」と言えば済む話。そしてモラハラでもない。

 

 こういうのは、もうしょうがない。でも、そういう経験をストックしていけば、自分の思考のクセを把握することができるようになるだろう。そして、オーブンのクセに合わせて工夫するのと同じように、自分の自動思考のクセに対処できる日は来るだろうかなどと考えながらケーキを作ったらきっと失敗してしまうのである。