ニートにハーブティーは要らない

ニートにハーブティーは要らない

思ったことを書いています

話を盗られる

 人と話していて、最初はわたしの話をしていたのに、ふと気づくとぬるっと相手の話になっていることがよくある。こういうのを話を奪われるとか、盗られるというのだと思うけど、その感覚がなんか好きだ。


 もう自分の話をするターンが終わったのだというちょっとした安堵感がある。自分のターンを終えて、彼や彼女がしゃべっている様子を呆然と聞いている時間は、なんとも間抜けな平和な時間のような気がする。そしてなにより、わたしのターンを奪ったあとに相手が話す内容というのは、たいていわたしの話よりおもしろい。


 母はけっこう話を奪うタイプで、しかもおもしろい。この前母と電話して、わたしが見た怖い夢の話をした。
 10年ぐらい前、アデランスかなにかのCMで腕から毛束を生やしてピンピン引っ張って「抜けません!」とアピールしているやつがあった。夢の中でわたしは、あの毛束が身体じゅうに植え付けられていた。本当に、背中にも腕にも脛にも腿にもあの真っ黒い馬の尻尾のような毛束が植え付けられて、人間のモヤッとボールみたいになって、引っ張っても激痛が走るばかりで一向に取れず、発狂したところで目が覚めた。
 この話を一生懸命しているうちに、いつの間にか母の夢の話は始まっていた。夢の中で、白い部屋にいて、遠くに洋ナシのようなものが2つ並んでいるのがおぼろげに見えたという。近づいてみるとそれは、わたしと祖母(母の母)が裸で風呂椅子に座っている後ろ姿だった。さらに近づいてよく見てみると、わたしと祖母はうなじにカミソリを当てて、一心不乱にうなじの毛を剃っていたそうだ。
「なんなんだそれは」と笑ったあとで電話を切り、しばらくうなじの毛のことを考えて過ごした。それだけの余韻があった。自分の怖い夢の余韻は消えた。そもそも、アデランスの夢だって母に由来していた。小さい頃、母があのCMを見ながら「これ怖いよ、取れなくなりそうだよ」と言うのを聞いていた。最初から主役はあっちだ。


 母に話を盗られるとき、ジャニーズJrってこういう気持ちなんだろうかと思う。あの最初に前の方で踊っているけど、先輩が出てくるとすがすがしい笑顔で横にはけていくジュニア。あれはわたしだ。